2018年10月24日水曜日
今日の想い 1015(独生女信仰)
出張清平がアメリカに来ている。DCは既に終わったがラスベガス、そしてシカゴが残っている。私は今なお引っ越すことができずにDC界隈にいるので既に終わったのだが、結果報告だけを言うと今回辞退した。妻の状態を考えて妻に留まるよう説得した。しかし私自身が行きたいという切望がなかったのも事実だ。清平信仰は清平信仰で私に取って重要であることに変わりない。以前にも記したように、私は清平で肉体的癒しを授かった。それに対して感謝の想いがないはずがない。しかし右に倣えで他の食口と同じように行動すればそれで信仰が立つわけではない。同じ行動することで安心感を覚えても、それは信仰ではなくその場限りの感情だ。もちろんそれは私に関してであって、参加した兄弟はそれぞれに霊的な恩恵に与るべきだと思っている。こういう言い方ができる変化が私の中で起こっている。私にとって御母様の独生女宣言に対する信仰形成は実に劇薬的に働いている。先ず最初は御父様のみ言葉理解に働いた論理思考を破壊することから始まり、次には涙で語ることができない御母様を認識していた私の感情は、権威で胸を張り強い口調で述べられる御母様を受け入れられず、その感情を破壊しなければ私はいつまでも後天の入り口で足止めを食う。しかしその感情自体が心情に通じていたのかというと、今に思えば都合のいい我良しの感情も含まれていたと思える。その感情が御父母様と同じ世界復帰への意志を差し出す訳ではなく、心情らしき自己満足に浸るだけだ。思考を壊され、感情を壊され、そして摂理へ向かう意志を強く維持しながら、新たな信仰を受け入れる思考と感情の魂を自分の中に用意している。この意志は良心を磨き続けなければ弱くなってしまう。良心改革と御父様は言われたが、今まで差ほど意識しなかった良心だったが、心の奥底から常に引き上げる作業の為、慣れ親しんだ今までの思考や感情を常に押しやらなければ引き上げて意志の方向性を取る羅針盤として働かない。ある意味適度な祈りや字面を追うだけの訓読の時間浪費でさえ良心はくぐもってしまう。御母様の2020への屈強な意志と通じる意志を持とうとすれば、独生女宣言に短絡的に反応するのではなく、独生女宣言を鏡にして己の本性を暴き出し、破壊しなければ御母様の意志は相続できないだろう。
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