食口ははっきりと自分にも周りにも断言する必要がある。自分の国は日本なのか韓国なのかそれとも他の国のどこなのか。もっとはっきり言えば、この国の為に死ねるのか或いは主の国韓国の為なら死ねるのか。アボジは韓国人だから、世界をどうこう言うまえに先ず韓国の為に生きたのであり韓国の為に日本を何とかしようとしたのであって、だからアボジの言われたままに従うのであれば日本を捨てて韓国の為に生きてきたということではないのか。私は御言葉は霊的なものとして捉えているので表現された言葉を逆説的に見る。或る面アボジは日本を悪く言い日本食口を殊更にプッシュし続けたのは、反動的な動きとして自分の国をより強く愛する方向に向かわせようとしたのだと思っている。もし韓国人であるアボジが日本食口に甘ければ韓国人が良く思わないし従うはずもない。そして日本人は罪人だ何だと言いながら多くの万物を引き出した。言動と行動そのものを見れば、日本にしてみれば悪鬼の頭そのものだし事実そうだ。日本の食口は言われるままに拠出しながら、ある時点でハタと気付かなければならなかった。アボジの鬼の追及は何の意味があるのか、日本食口をプッシュしながら日本の為だと言われるその真意は、日本からの献金が投入されながら湯水のように使われ流される現実をどう捉えるのか、など深く天に問い尋ねる意志、そしてアボジにぶつける意志をもったことがあるだろうか。実際はそれを無視してきた訳だが、それを問わずに続けてきたことは逃げであり惰性であり無責任だ。結果、アボジを悪鬼の頭として日本中が認識し公開処刑されている。日本の誰もメシアとは信じないだろうし真の父母の顔につばしている。こうなることを誰一人予測していなかったのだろうか。であれば日本食口は余程のポンコツだ。「日本の食口は苦労してきたよ。」この言葉を感動で受けとめて更なる奴隷的働きに邁進するのか、あるいは苦労を認めて下さるなら母の国として意見の一つも言わせて下さいと懐に入っていくのか、、。勿論聞く耳持たずケンモホロロなのかも知れないが、奴隷的立場を去りたいのであれば届けるかどうかは万物を拠出している側に権限があることも事実だ。ヤコブの知恵をいうならこういう場でこそ使うべきであったと、私は溜息をつきながら思っている。使う側の責任と同じように出す側の責任も問われて当然で、その責任をアボジに擦り付けようとしているのが私達今の日本食口だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿