2022年9月12日月曜日

今日の想い 1184

食口達の危うさは、御言葉全体の本質を捉えようとせずに、断片を継ぎ合わせることで信仰的といわれるイメージを植え付け、あるいは植え付けられ、それを本質だと盲信していることだ。今回の問題が浮上したことでその弊害を食口全体の中に見ている。一つは今回の問題の影響力の大きさに対して皆があまりにも楽観的だということ。ここまでの問題であるにもかかわらず、皆の中に信仰の在り様への反省や総括も当然ないし国を挙げて批判の対象にされていることへの危機感も欠如している。自殺まで考えた食口もいたと言うことだったが、そこまで思い詰めるほどの危機感を持っている食口が果たしてどれくらいいるだろうか。何故なら信仰が強いからそうなのではなく余りにも素直で、言葉を変えれば余りにも稚拙で、食口が共有している信仰的イメージというお花畑に魂は留まったまま現実の危機意識は希薄だ。まさしく恐れを知らない子供の群れだ。日本の国民が見事にメディアの教会に対するイメージ付けに簡単に嵌ってしまっているように、食口は共有している信仰的在り様というイメージ付けに嵌っている。教条を順守していれば神様が導いて下さるという風にイメージ誘導されている。本来、教会の取り決めを守るだけで人格が完成されるのでもなければ、神様が導いて下さるわけでもないのに、難解な御言葉より教条が分かり易いし恐怖と平安の感情と直接結び付いているので教条を守ることだけに意識は集中される。要するに食口は教条主義にある原理圏なので安心だという魂の御利益信仰に陥っている。そして今一つは御言葉信仰を持たない世間、非原理圏に対して差ほど関心はなく、国家的意識、社会的意識に欠けている。かつては共産主義の脅威に晒される危機意識があってその為の具体的活動もしていて救国救世の意識に貫かれていたが、そういう教育はされているかも知れないが具体的活動は献金ノルマ対策と祝福ノルマ対策であり、そこに救国救世の活動や公的意識はない。日本に住みながら日本国の恩恵を受けているという実感がない。もちろん世界摂理は大切だ。しかし自分の立ち位置である国を蔑ろにして到底世界復帰など為せるものではない。

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