2022年9月18日日曜日

今日の想い 1185

メディアという情報権力にどう対処していくのだろう。政治的圧力をかけるにも良好な関係をいくらか保っていた自民党でさえこの体たらくだし、司法への提訴を考えるとしても兎に角時間がかかり何年という年月を必要とする。メディアに対してはメディアというのが最も効果的だとは思うが、主要テレビ局はどこも横並びでイジメに終始し、180度スタンスを変えた立場の情報を流すところなどどこにもない。教会側から少々の抗議文を送ろうが、カエルの面にしょんべんで、短い回答文にもならない回答文を差し出して教会を舐め腐っている。外的世界観に立てばそんな愚痴しか出てこないが、しかし食口がアボジの霊を戴いたのであれば、この現実を霊的に捉えてこそ意味をなす。先ずこの批難の嵐こそが食口にとってのノアの洪水だと思うべきだろう。ノアの洪水は大気中の大量の水分が40日40夜雨となって地上に降り注ぎ、結果大気中の水分が大幅に減って太陽と青い空が見え虹がかかった。この事件は暗い夜と明るい昼がはっきりしたということでもあり、霊界と地上界がはっきり分かれたということでもあった。ではこの40日40夜の批難の嵐が食口にとってどういう意味があるのか。今回の件でおそらく教会が指示していた活動は止めざるを得ないか、大幅に縮小されるはずだ。本来先天時代が終わるときにそれまでの先天的信仰観は総括して後天時代を迎えるべきだったが、放せない既得権もあって惰性的に維持されて来たので、今回こそ外的要因によってではあるけれども全食口が総括する機会が持てた。批難の雨風に晒されながらそれでも残るものが何なのか。教条的枷が流されることで今まで見たくても見れなかった後天時代の太陽を拝むことになる。それは良心という霊的太陽だ。そう、アボジの御言葉の最終結論ともいえる良心宣言だ。心と体を持つ私という箱舟の、良心という羅針盤を中心とすれば、私が歩む摂理の方向性を間違えることはない。

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