2024年8月8日木曜日

今日の想い 1314

 先ず教会用語を内輪でも使わず、この社会で使われている言葉に直して使う必要がある。私が嫌う言葉の一つとして原理非原理がある。原理的だとか非原理的というような使い方をするこの言葉は、食口の間違った選民意識を誘発させる。教会は原理的でありこの世は非原理的だと当然のように判断するけれども、自分の中に堕落的なものが息衝いているように、教会の中にも非原理的なものがありこの世の中に原理的なものもある。さらに言えば原理非原理の基準は私達の中にはないだろうしどこで線を引くのか分かっていない。こういった教会用語を使って食口村をつくるものだから、”非原理的”この世から隔離し独善性は強くなる。この社会を堕落世界だ何だと言いながら、社会の中に生きて社会から様々な社会保障を当然のように受け享受している。年金も積み立てておらず受け取れなかったり額が少なかったりするが、中には生活できないために生活保護を受ける者もいて、そんな立場でそれでもこの世を堕落社会だと糾弾することができるだろうか。献金を優先して税を負担してこなかったことを誇ることはできない。祝福家庭に霊的位相の違いはあるとしても、それは社会に対して誇るものではなく、口に出して誇る時点で位相は転げ落ちる。高みに対して誇りには思ってもこの世にたいして誇るべきものではない。この世で謙虚であることが逆説的に霊的に誇ることになるという、この意味がわからなければ霊的理解に欠けている。み言葉を訓読しながらみ言葉の流れがわかってくると霊界も正しく認識できるし、霊的感性もみ言葉の深さ、すなわち心情の深さを相続することで育てることができる。原理用語を使いながらみ言葉を理解したつもりになっても、それはみ言葉の理解を逆に妨げる。

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