2024年8月27日火曜日

今日の想い 1320

 左の頬を打たれたら右の頬も差し出す、というイエス様の言葉がある。クリスチャンの中にはこれを言葉のままを受け取る者がいて、それはできないとかそこまで犠牲的自分を差し出すとか思うのだろうか。ひょっとしたら食口の中にもそんな単純な思考を持っている者がいるのかもしれない。ようするに打たれる自分は打たれて当然どころか、それ以上に打たれるべきだと信じているということだ。左の頬を打たれたら右の頬を差し出す前に先ず打たれた意味を問うべきだろう。自分に問うてみてそして次の行動にでればいい。今回教会は見事に打たれた。左の頬どころの騒ぎではない。日本の教会は組織的には瀕死の状態だ。にもかかわらず、神様はいてそれは教会を潰そうとしている相手方の神様でもあり、私達を愛すると等しく教会を打ちのめす反対派も神様は愛しておられると言う。だからどうだと言うのか。打つままにされていればいいと言いたいのだろうか。そんな単純信仰で私達は遣り過ごそうとしているのだろうか。少なくとも何の反撃にもでない、あるいは何の戦略もない教会指導部であることは明白になった。あれほどに日本を救い世界を救うと大言し、その為の献金摂理だとして教会食口を翻弄しながら、しかし反対する者達への何の戦略もなかったという御粗末さは笑うに笑えない。一世は二世に対してそんな私達がやってきたことへの総括も反省もない。もし二世が立つとするなら先ず一世への憤りから立ち上がるべきだ。一世のお花畑思考と幼子のままの成長しない信仰を痛烈に批判してこそ次につながる道がある。寝ぼけたままで覚醒しない一世食口は、未だに無責任な楽観的気分を肯定的姿勢だと信じて捉えてルームランナーの上を走っている。

0 件のコメント: