2024年8月31日土曜日

今日の想い 1323

久しぶりに朝生を見た。平和ボケ日本では相変わらず軍拡への批判と、話し合いと外交で戦争を回避するという認識一辺倒なのだろうという先入観ありきで見始めた。若い女性も二人いて、特にこの二人の意見は聞き逃さないようにしようと眠い目をこすりながら頑張った。90を超える司会者はいい加減席を若い世代に譲ったらと誰もが思うだろう。頭の固さや頑固さもそうだが、とにかく活舌が悪くて聞き苦しい。彼に引導を渡せないのも日本社会故だ。言論村の重鎮には何も言えない。それはさておいて若い二人の意見だが、戦争の恐ろしさを知っている世代がいなくなったらとか、戦争の恐怖を伝えていくことで戦争回避できるとか、どうも闘うことイコール恐怖という風に刷り込まれているのか、先ずこの恐怖の感情あっての意見であったり議論であったりというのは果たして平和に対する前向きな態度と言えるのだろうか。人生の中で闘う場面は度々あるだろうに、そして闘うことの恐怖心を超えなければ希望はないように、人生での闘いと国家間の戦争との関連性は全くないと認識しているかのように戦争の恐怖を超えるのではなくひたすら避けようとしている。願わない喧嘩を吹っ掛けられても逃げるわけにはいかず、拳によらないにしても何某かによる闘いは避けられないわけで、そこの想像力が働かないのが平和ボケ国民の平和ボケたる所以で、やはりこの国には一発ミサイルでもぶち込まれなければ目は覚めないらしい。そうなると流石に外交だの話し合いだのという意見は吹っ飛ぶだろう。核保持による回避を議題に上げても、戦争の恐怖ありきの人間に核議論を持ちかけてもどうにもならない。

0 件のコメント: