ここ広島は、台風一過で穏やかな風が吹いている。温度は28度だが、湿気があるとないとで体感温度はこうまで異なる。何とも平和な午後だ。家路に着く児童達の、歩道橋の上で声高に言い合う音が青空に広がっている。こんな、穏やかで誰もが気を抜いている時に事は起こる。誰かの本でそんな箇所を読んだ記憶があるし、そう信じてもいる。ニュースを見ても、SNSを見ても、不安材料には事欠かない。ミサイルが方々で打ち上げられ、破壊も続き犠牲者も増えている。景気が良くなる兆しさえ見えないのに、それでもマーケットは青天井だ。そしてこの穏やかさだ。もう狂っているとしか言いようがない。アボジが語られていたD-DAYはどんな様子で来るのだろうか。或いは来ないのだろうか。D-DAYを前にしてX-DAYが来てしまった。私達は今、再臨のメシヤが地上におられない時代を生きている。すなわちアボジの口を通して摂理の実情を受け取れない私達だ。世界で起こっていることの本質的意味も、これから起こるであろうことも、この耳から受け取ることはもはやない。だから良心を通して尋ねる以外の方法はないにもかかわらず、私の霊的感性は、神霊の叫びを直接に受け取るほどには研ぎ澄まされていない。何となく感じるものがあるとしても、それは余りにも心もとない。先輩食口がどれほど科学的見地に立てと言われても、科学的論理的側面から摂理を見通せるとはどうも思えない。現実は、誰も得しないイラン戦争の継続、トランプの言動に踊りバブルを更に膨らませるマーケット、通貨の増刷に次ぐ増刷によるインフレと通貨価値下落、そしてこの秋には生活苦として忍び寄る資源不足と食糧不足。
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