彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのは私達の病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。 イザヤ書53章より、、
やがて来られる御方を栄光の主として預言されたところもあるが、神の一人子であるのにこのように人々から見捨てられる者として預言されたところもある。旧約のこの部分に触れるときに、私の心は動揺する。それはどうしても、御母様の状況と重ね合わせてしまうからだ。私が素直に天の父母様神観を受け入れ、独生女信仰に入っていくことができれば、自律神経に支障を来すほどの動揺には至らないだろう。しかし原理とアボジのみ言葉でまかりなりにも知恵がついた私は、どうしても御母様の言動と認識を素直に受け入れることができない。イエス様が地上におられた当時の、当然のこととしてユダヤの王として君臨される御方の絵を描いていた、そのユダヤ人からしてみれば、イエス様像が全く異なっていたように、、。白い衣を纏って空から舞い降りる再臨主のイメージを描いていた、そのクリスチャンからしてみれば、東洋人のアボジを受け入れることができなかったように、、。御父様を立てられ、良妻賢母の御母様こそ聖霊実体だと、思い込んでいた私も、御母様御自身こそが原罪なく、イエス様という一人子に対する独生女だと権威を立てられる御母様に対して、ユダヤ民族やクリスチャン達と同じ道を辿っているのだろうか。アボジのみ言葉に従わない御母様だから神の手にかかり、打たれて苦労しておられるのだ。そんな言葉を聞くのは一人や二人からではない。彼等の言動はイザヤ書に預言された言葉と同じだ。そこまで真逆に振れる言動は私にはできない。御母様の苦難は私達の痛みを負って下さった、私達の責任を背負って下さったからだと、その想いも当然あって、私の心は暗く混沌状態だ。
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