2026年6月16日火曜日

今日の想い 1474

 人は己の死の間近にあることを認識したとき、態度としてどういう段階を踏んでいくだろうか。先ず、まだ死ぬはずがないと抗うだろう。そして死への不安と恐怖を味わう。その上で死に対して受け入れようと死を友にするかのような親しみで不安を取り除き平安で満たそうとする。最期は死を準備し、迎える仏なり神に委ねる。私は未だ死の宣告も受けていないし、死が近付いている感覚もないから仮定でしかないが、当たらずとも遠からずだろう。しかし何度かの訳のわからない病に襲われた時、私は同じ路程を辿った。先ず直ぐにでも症状は回復するはずだ、どうやったら癒されるかと抗う。しかし時間と共に悪化したり回復の気配が見えない時、不安と恐れに対峙して病に対して内的用意を整える。この病を通して学ぶものがあり悟るものがあると、或いは何らかの条件として迎えていると納得させ、痛みや辛さを親しみで対する。最期は治ろうが治るまいが甘受し神に委ねる。病に限らず、何らかの受け入れ難い問題が発生したときも同じような路程を辿っていく。別に一般人に限らず食口だってそうだと思うが、身体的にしろ心的にしろ、或いは対外的問題にしろ内面の問題にしろ、我が身に起こって楽しいはずは到底なく、捨てられたという孤独感で感情の底を打つ。しかしその感情に主管され、拘束されれば、私はサタンの罠に嵌ることになる。悲観的感情を捨て置き、創造的行動に、そして奉仕する行動に身を捧げることだ。そうやって自分を押し出し、もがきながらでも感情に主管される私を乗り越え、意志を高く掲げて前進していく。それでこそサタンの子女ではなく神の子女だと証明できる。この道に来た以上その試練は何度も来るのであり、そして何度も乗り越えていく。

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