2026年6月21日日曜日

今日の想い 1475

 どれほど牧会者による素晴らしい言葉に触れて心が高揚しても、どれほど訓読しみ言葉に接しても、それで結果が自動的に手に入る訳ではなく、飽くまで意志を差し出すという実践行動の過程を経て結果を残さなければ意味はない。行動に移さずに心に貯め置けば、心は消化しきれず、受け入れた莫大なみ言葉で心の動きは止まってしまう。過食した消化器のような反応を心が始めてしまい、特定の理解しやすい箇所のみ言葉、例えば裁きや罪人判定のような受け身の言葉のみに心が集中し、自分で自分をMCしてしまいかねない。非原理圏だ堕落世界だと認識して外部との接触を避けてしまっては生活感覚がずれるのみならず、社会の中に生きて働く善霊、神霊との関係も遮断してしまう。地域社会からの保護や国民としての恩恵に与りながら、しかもそれらは外面のみならず文化や教育背景という内面への恩恵もあずかっているのだが、それを当然のことのように感謝もせず、偏ったみ言葉理解で背を向けていいはずがない。教権指導部によるみ言葉教育と献金伝道一辺倒の指示にも問題があるが、それ以上に信者の愛の人格や霊的生命を重要視していないことの方がより問題だ。アボジが中庸という言葉を出されたように、何事においてもバランスを取る必要があり、信仰により謙虚さより独善的な面を強調したり、知性と行動のバランスを失ったり、様々な弊害が起こりうる。

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