2008年8月12日火曜日

息子

仕事を終えて帰れば十一時は回っている。そんな時間でも玄関を入れば小さな息子のハシャギ声がいつも聞こえている。しかしその晩は違っていた。静まり返った室内に入ると、この世で初めて闇を見るような不安が襲ってきた。既に昼過ぎには店の方に妻から連絡が入っていた。息子が熱を出したようだ。その連絡を受けてから心配で営業にも力は入らず、客への応答も上の空だった。寝室のドアを開けると、妻は生まれてまだ間がない下の子をあやしながらも、すがるような目を私に向けた。息子は一瞬何処にいるのだろうと探すほどに、布団をかけ身動き一つせず仰向いて横たわっていた。半開きの口からは何の言葉も発しない。力の無い目で瞬きもせず天井の一点を凝視していた。駆け寄って額に手をやると、手をかざそうとしただけで明らかに熱い。相当苦しそうで短い息を引きつるようにしていた。危ないと思った。熱で熱くなった小さいからだを急いで抱えて車の助手席に乗せ、ローリーの病院まで飛ばした。直ぐ楽になるから頑張れとハンドルを握りしめながら声を掛け続けたが、気力が無いのか意識が朦朧としているのか微かな返事も返ってこない。真夜中の二車線道路を制限速度を遥かにオーバーしながらもアクセルを踏み続けた。病院にやっとの思いで駆け付けると、救急の出入り口の真正面に止め、車を投げ捨てるようにして子供を抱え室内に飛び込んだ。自動ドアに足を思い切りぶつけたがそんなことはどうでもよかった。只事でない様相に受付係りが飛び出すと、他の患者そっちのけで救急室に直接運んでくれた。興奮状態でありながらも天が助けてくれていると言う思いはあった。ナースが息子の口に差し込んだ体温計はみるみる数値を上げ、120度を超えても更に上がり続ける。ドクターは計る意味もないというように抜き去ると幾枚ものバスタオルを冷水に浸すよう指示をした。冷たく濡れたそれを広げると、ナースが数人がかりで厚着させていた息子の衣類をはぎ取り、小さな体に貼り付けていった。体温の熱で張り付けたバスタオルから湯気が出る。タオルは何度も何度も取り替えられた。ドクターの動作が一段落した頃合、恐る恐る様子を尋ねた。熱が異常に高いので今は何とも言えないという返答だった。少しずつ熱が引き始めたのは数時間たった頃だった。病室に移され熱さましの座薬を入れてから少し落ち着いたのかやっと口を開いてくれた。目にも何とか光が戻り、「大丈夫。元気になった。」と、心配で覗き込む親に、回らない口で何度も何度も声を掛けてくれて安心させてくれた。白血球の活動量が遥かに多いらしく、何かが傷口から、或いは経口からか入ったらしい。その原因が分からず様態も不安定で、それから二月余りも入院したり出たりの繰り返しが続いた。その事が起こる前にも、黄疸に始まりアレルギーで顔を腫らして救急車で駆けつけたり、口に櫛か何かをくわえて走って転んで喉をついて出血させたり、ショッピングカートの中でふざけていて頭から落ちたりと、思い出してみるとこの子は生まれた時から事故や病気が絶えず、親を心配させ続けた。やっと落ち着いてきたと思いきや、大きくなった今も今度は違う意味で親を心配させ続けている。本人は知ってか知らずかいつも親を振り回し、息子によって感情の海は荒れ続ける。親としての試練と学びは止むことは無い。

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