2008年8月3日日曜日

事故に関して

事故の衝撃が地上にいる全食口を貫いた。皆一様に驚きと安堵を同時に覚えたと思う。八十九にもなられる御父様であれば食口はおろか地上にいる全人類に於いても、御父様が御存命の光り輝く地上生活以外は殆ど誰も知らない。何があっても不思議ではない最悪の状況を誰もが垣間見たと思う。闇が覆い全天宙が力なく臥す狭間を、私も見た。摂理の意味と御自身の役割を誰が知るでもなく神様と全天宙、そして地上天上全人類の救いを一つの肉体と一つの魂に引き受け歩んでこられた路程は人間の想像を遥かに超える。人間の小さい魂でそれを図ること自体が愚かだと言える。我々の叡智を超える天宙的認識と判断で舵を取り、地上天上全人類の親としての計り知れない心情を宿され、岩はおろか惑星さえも砕く固い意志を備えられて天との約束を果たされてきた。御自身の身辺に起こること、真の家庭に起こること、それらを人間的判断に任せることは危険だ。復帰摂理の最終段階の天宙的やり取りがその背後にあることを見えずとも認識する必要がある。ただの事故だと決して捉えるべきではない。事故に持ち込もうとする背後の力が明らかにあってのことであり、霊界の御子女様をはじめとするそれに立ち向かう力がそれに勝ったと判断できる。復帰歴史を見る限りサタン圏も条件が揃わない限り打って出ることは出来ない。我々の条件の欠如は明らかで、祝福家庭であるなら先ずそのことに関して悔い改める必要がある。勝利されてサタンの攻め入る条件は御父母様御自身には無いはずが、敢えて打たれる立場に自分を置かれる現実を我々は見逃すべきではない。その事実を受け取って皆はどう捉えるだろうか。受け取る以上そこに本質を見る必要がある。不可避的だったと言われるなかで摂理史的に必要である、或いは国形成の伝統を作るのに必要な原理的材料を揃える為に必要だったと語られる、その意味をどう捉えたらいいのか。深刻だと語られるその真意も程度も自分には計れない。ただただ申し訳ないという想いを強くする以外、自分の為す術は無いのだろうか。

0 件のコメント: