オレンジ色に発光した太陽が沈んでいく。雲ひとつ無い空が、太陽から遠ざかる程に益々青を濃くしながら天空を覆っている。暫く見つめていれば、今にもその覆いが下って来て自分に迫ってくるような、或いは逆に自分が吸い込まれていくような錯覚を覚える。天空の覆いの中に自分を埋める時、霊界ではその様であろうと思われるような感覚を感じる。この世で全ての視覚対象は物理的存在として実証できる対象物だ。しかし天空に目をやるとき、雲であるとか空気に反射する青色を見るとかは気体対象物ではあるとしても、それを更に超えて広がる宇宙に視線を向けている。手の届く対象物から反射光を受け取るのとは違う、視覚で受け取れないものを捉えようとしている。魂の存在、死後の世界を認めることが出来ない者は天空を暫く見続けるのが良い。物を視覚に受け取る時と違う感覚が自分の中に芽生えるはずだ。その生じた感覚を影のように意味の無いものとして捉える事を本当に自分は良しとしているのかどうか。唯物論は平面的周りばかりを見て、天空を見ることを忘れた処から発生している。生きることを平面次元だけに捉え、人間は立体以上の次元で生きる多次元的存在であることに気付かない。視覚を失った者に唯物論者はいない。平面次元の生を限定的なものにされたことで多次元に生きることを学ぶ。遠くない頃合、皆が皆視覚を奪われる時は必ず来る。暗黒の三日間が必ず来る。全ての人類が気付きを得る為、天の人類に対する愛の計らいとして訪れる。
0 件のコメント:
コメントを投稿