2008年8月16日土曜日

今日の想い 5

イエス様の為し得なかった実体的な世界的カナン復帰路程の最終章を御父様は担当されてきた。預言者エリア的存在であった洗礼ヨハネが、あってはならない最初の躓きを見せたように、御父様の路程に於いてもその様で、その為何の拠りどころも無い状況に貶められ、そこからの出発だった。社会的能力に欠け、サタンも意を解さない見捨てられた底辺の人間を集めるしか策はなく、その群れをして摂理を進めてこられた。本来ならキリスト教信徒達こそ集められ摂理の中枢を担うべく、その再臨のため二千年間準備されてきた。我々と彼らとは比べようも無い。能力云々ではなく霊的血筋が違う。聖霊によって新生するという意味がどのようなものか、我々の多くは知らない。イエス様を愛するという感覚を知らない。魂の在り様が全く違う。我々は多くのみ言葉を頂きながら、その本当の意味するところを知らない。み言葉に宿る神霊を受ける器が、我々の魂にはない。聞いているが実のところ聞いていない。共に歩んでいるようで御父様と我々との距離は遠く隔たっている。霊的に無知であることの認識に立たない限り、摂理の入り口にすら辿れない。語られるみ言葉の中に理解に苦しむ多くの表現が見出せる。我々が理解する言葉の意味合いで測ろうとしても答えはでない。論理性で理解するものではなく、霊性で理解するものだ。御父母様を本当に慕うのであれば、侍っていく過程でみ言葉は自分のものとなる。論理を超えた愛の叡智で解釈する術を知る。そこに至って初めて主管性と創造性を相続できる。実力能力に於いて、霊的内容に於いてもあまりにも低い基準でたむろしていた群れが大きく飛躍できる時を迎えている。世界を主管する並み居る人物や組織を凌駕できる時を迎えている。地上天国実現をこの目で確認できる時を間近に控え、真に知恵あるものはその準備に怠らない。

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