2008年8月5日火曜日

霊界様相

人間は地上世界に身を置いて自分の宇宙を創造している。霊界に場所を変えれば自分が創造した宇宙に自分が住まう。五感で受け取るものが自分にとっての実感であるこの世界に比べ、内的に自分が築き上げていく世界こそあの世の実感として霊感に受け取る。自分が自分であると認識できる内なる世界が、敢えて言えばぬいぐるみをひっくり返して裏地を表に出すように、実感として住まう世界に変わる。地上に於いて空気や水や土、そして全ての存在物を認めて受け取るように、霊界に於いてもあらゆる霊的要素、全ての霊的存在を認めて受ける。しかしその在り様も受け取り方も地上とは全く異なる。自分の前に現れてくる存在は、地上でどう生きてきたかにより様相を変える。地上で霊的なもの内的なものとしてどれ程価値を置きどう扱ってきたかが、そのまま霊的存在から受ける仕打ちであったり供与であったりする。生前の内面の活動がそのまま生きた存在として眼前に現れる。イエス様の愛に帰依して生きたものは、その魂の様相がイエス様の愛により光り輝く宇宙となり、肉身を脱ぐとその様相の中に居を構える。帰依の度合いを深めれば深めるほどに、愛に溢れる記憶内容、思考内容、感情内容が生きた霊的存在として自分を取り巻く。自分の暗い魂の在り様、醜い魂の在り様を、愛のあふれる明るく美しい在り様にする為にどう自分が能動的に関わったか、能動的とは自分から自分の意志で、と言うことであり、自然に知らないうちに、と言った立場とは違う。従って自分の内面路程の創造は困難が伴い苦労が伴えば伴うほど、より意志を強くしより能動的に関わることになる。神を否定し内的霊的な事柄を否定する唯物論者は、はなから内面的創造に関与しない。即ち自分の住まう霊界の居場所はない。生前物だけを崇めていた地上に於ける現実を、死後自分の周囲に見出せないでいる。押し寄せる霊の中で窒息するか溺れ死んでしまうしかない。

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