2009年6月15日月曜日
レストラン考察 1 (レストランとは)
伝道伝道としきりに言われる。個人伝道にしろ氏族伝道にしろ、一人の人間の人生観を変えるのはそう容易い事ではない。一本釣りで後は組織に入れてさえ置けば信仰が根付くと言うような簡単な事ではない。ケアしてケアし、投入して投入する、持てる以上の愛を注ぎ込まない限り難しいだろう。清平から担当の方が来られその話の中に、仕事の場でもある時間を決めて伝道する意識さえ持っていれば、敢えて伝道の為に路傍や訪問に繰り出さなくても伝道していることになるし伝道できると話しておられた。そう言う意味ではレストランは、サービスを提供する為に直接客に接しているし、わざわざ繰り出さなくても客の方から足繁く通ってくれる。伝道活動としてレストランほど最適な場所はないと思う。み言を語るにしても、相手に器が無ければ直接的なみ言を語っても砂に水を撒くようなものだ。み言が入るように一生懸命相手を愛し、サービスしながらみ言の器作りをしてあげることも立派な伝道である。最終的には御父母様に繋げてあげることを視野から外すべきではないが、しかしみ言を伝えたという唯の条件的形に囚われてはならない。大会に参加したとか教会に何度か来たとか、それで相手が復帰されたと言える訳ではない。直接的にみ言を語らないにしてもサービスや料理を通して真の愛を客に流している。行動で愛を示してこそ、口を忙しくするよりは余程御父母様の証となる。店主を中心として従業員は伝道者として動き、教会が神霊が宿る場であるなら、そう言う意識を持ったレストランにも神霊が宿って当然なのだ。レストラン教会と御父様が話された様に、レストランはより門戸を広くした教会である。レストランこそ献金もでき、生計も立てられ、そして伝道活動が働きながらにしてできると言う、まさしく摂理に適った場である。自分に取っても客に取っても、ここが神霊復興の場でありそれはレストランの名を掲げた教会と言える。私はここで敬拝を捧げ、ここで繋がっている客に想いと祈りを込め、ここで復興され、ここで教育され、ここで真の父母と繋がっている。
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