2009年6月15日月曜日

レストラン考察 3、(レストランは教育の場)

信仰年数だけは長いので、いろんな部署を歩ませていただいた。軍隊調のところもあったり渡世人調のところもあったりで、この道に来なかったら現代社会でこれだけの生きた経験を積むことは無かったろう。長い下積みの末、やっと信仰生活の味わいを覚え始めたのがレストランだった。レストランは昔よく言われた3K業務の部類に入る。朝から夜遅くまで立ちっぱなしであり、一日中時間も行動範囲も拘束される。製造や流通と違ってサービス業は仕事の殆どが客相手であるため、他業種に比べればダントツにサービスに付き物である精神的苦労は大きい。真面目でおとなしい食口が多い中で、接客業が大好きだと言う人がどれ程いるだろうか。女性ならまだしも男性で表に出て接客業務を希望する食口は先ずいないだろう。それだけで十分十字架を背負っているように思えるのだけれど、更に売上だ利益だ何だと言われ、み旨を歩んでいるはずなのにどうして力が湧いてこないのだろうと誰しもが悩む。私もそんな思いを持ちながら歩んでいた時、そんな時を待っていたかのように従業員間の事件が起きた。そしてその事件以降その従業員が来なくなったと思ったら一ヵ月後に訴えられた。信仰も肝も据わっていない私は店長生命もこれで終ったと思った。訴訟という事態が巨人のように襲い掛かってくる。誰にすがる事もできず、苦しい時の神頼みで祈らざるを得なかった。祈って祈ってまた祈るしかなかった。そして目が少しずつ開けていった。明日のことは誰も解らない。恐らく神様だって解らないだろう。そうであれば自分で切り開くしかない。過去に遡って見ると、自分で切り開いてきた事柄が一つもないことに気付いた。そして何事に関しても常に躓くことを恐れていた。人生の中で躓くことは当然あるだろう。どんな成功しているビジネスであれ、大きくなれば大きくなっただけ躓きの経験も大きい。躓きを避けていたけれど、躓いて始めて学ぶものがある。躓き、悩み、苦しみ、もがき、そして目が開いていく。天の祝福はそう言った形で届けられる。来るものを受ける人生、受動的人生から自分から働きかける人生、能動的人生にシフトすると、今まで避けていたものが天の采配として自分の内面で化学反応を起こしながら、新しい自分に脱皮し進化していく。どれ程問題を抱えていようと、今日一日を与えられそれらに取り組みながら歩める喜び、目の前で私のサービスを受けてくれる客がいる喜び、内的霊的視界は一変した。

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