2009年6月16日火曜日

今日の想い 83

後ろの入り口から入ってこられるのだろうと思いきや、以外にも自分の席に最も近いサイドドアから入られた。開きドアが思い切り開くと、そこにお二人が立っておられる。どよめく歓声に、どれだけアナウンスが声を張り上げてもかき消される。満場の拍手の中、サイドを付き添われながら壇上へとゆっくり近付いていかれた。足がお悪くなったのはいつごろからだろう。事故があった以前からそのようであったと思う。歩幅を大きく取られ、颯爽と風を切っておられた時の姿が今のお姿と重複する。御父母様の姿を目で追いながら、過去の歩みを思い出す形で報告している。自分自身の事も、相対者や子供の事も、与えられている責任分担に関しても、顔を上げて誇らしく報告できることは一つもない。恥かしくて、苦しくて、申し訳なくて、どうしたらいいのか解らなくて、そして寂しい。皆のキラキラ輝く視線が御父母様に向けられているのに、ひとり寂しく肩を下ろしうな垂れる。歓迎の拍手がアナウンスの感謝の叫びと共に再度鳴り響く。自分も一生懸命応えようとするけれど、合わせる手が痛い。鳴り響く拍手が耳に痛い。負債一杯の自分は形だけでも皆に合わせようとする。涙は止めどなく流れてくるけれど、本当のところそれが何なのか自分でも良くわからない。寂しいからなのかそれとも悔しいからなのか、慕わしいからなのか申し訳ないのか、自分の肉体を借りる先祖や霊人達の想いがそうさせるのだろう。そうであれば、寂しく傍観している自分は隅の方で立ち竦んでいるのだろうか。あの時、始めての機会として、御父母様と敬拝する私ひとりが部屋にいた。私が敬拝を済ませても御父様は窓の方を向かれたまま一言も口にされない。御母様が何か囁かれる。口篭りながら何か言い返しておられるようだけれど、不満の表情は隠されないまま窓の方をずっと向いておられた。あの時の幾星霜もの御父様との距離を未だに縮める事ができないまま、目の前におられる御父様はしっかり御年を召された。四十年近い時を経ながら、未だに報告できる何も持ち合わせない自分は、怒鳴られ貶される事でしか御父様との直接的関係は結べない。しかしこれだけの御年になられた御父様に、どうやって願われもしない事柄を要求することができるのだろう。孝行息子は褒められることで父母と関係を結び、不孝息子は怒鳴られることで父母と関係を繋ぐしかない。どちらであっても父子の因縁は結ばれよう。御父母様の自分に対する顔色させ伺えない自分は、見え隠れする位置で恨めしく眺めるだけの存在なのか。御父母様、私も御父母様の息子ですと、影ながらにでも叫びたい。そうだ、そう叫びたくて涙が流れるのだ。子供の頃地団駄踏んで親の関心を向けたように、泣き喚いてでもそうできるなら、細い視線を一瞬でも投げかけて欲しい。

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