2009年6月13日土曜日
信仰路程
期待は裏切られるものであると誰かが言った。誰が私にそう囁いたのか思い出せない。こうあってほしいという期待を繋げながら、結局のところ期待は裏切られると言うのだ。期待は裏切られるものであるなら逆に実るものは何だろうか。その答えは信仰に違いない。期待は幻想で時の経過と共に霧散し、信仰は実質で時の経過と共に形を現す。しかしながら絶対信仰と気負ってみても、自分がどれ程移ろい易い者であるか、自分が一番よく知っている。だから信仰条件が必要になる。条件とは自分が信じ続けることが出来る為の、信仰確立の為に必要なのであって、条件を供えればそのまま願いの成就と引き換えになるわけではない。条件を供える事で、信じ続ける自分を維持できる。信仰とは信じられない自分との戦いなのだ。信じるべき自分とは、神様の真の愛、神様の真の生命、神様の真の血統を、血統転換式に臨むことで受け取った自分であると言う絶対的事実。我々は完全に愚かな立場であっても、神様に連なった事で100%以上の知恵深さを得、無限の霊界の絶対善霊、祝福先祖達が同伴者となり後援部隊になっている。巨人ゴリアテの前にダビデが立ち上がる時のその気分を、自分の器以上の願いをかけられ巨大に見えるサタン世界に対する時覚える者になる。ダビデを強く勇ましく立ち上がらせた神の霊が自分の中にも息づいていることを我々は実感しているだろうか。億兆のサタンに囲まれながらも臆することなく前進し突破してこられた御父様の霊が自分の中にも息づいていることを実感しているだろうか。御父様の息子娘であるなら、御父様に似たものになって当然だ。打てばお前が敗れ裂けるのであって私は破れ裂けないと言うこの鋼の思いこそ最強戦士である御父様から息子である私が受け継ぐ資性に違いない。信仰という闘いは避けては通れない宿命的課業であることを観念して認め、真っ直ぐ前を直視して歩みを進める者となる。
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