2009年6月21日日曜日

今日の想い 86

人間は堕落性に満ち、醜い様相を曝し、臭い立つ悪霊臭を振りまいて生きている。自己弁護と自己擁護に奔走している自分も、堕落人間の一人として大衆の中に埋まり続けるなら、神様の目に留まる事はない。自分の堕落的様相を何の嫌悪感も抱かず、内面に居座る事を許しているなら、私は相変わらずサタンの奴隷であり、真の父母の子とは言えないだろう。自分の見え隠れしている良心が疼き、良心に押し出される形で、凝り固まった怠惰な性質に浸透された肉体が、その重い腰をやっと上げる。御父様の内面がそうであるように、正午定着の太陽として、自我の太陽の在り様、良心が自分の内面に輝いてこそ、御父母様と呼べる自分になれる。自分の良心がひとつの陰りも無く内面を明るく照らし、思考や感情、そして意志にも良心作用が直下的に働くことで、その魂に貫かれた肉体は神の宮となる。雲が厚く垂れ込め、遠くの景色が霞むほどに湿気を帯びた重い大気が、雷神の轟きに合わせて振り下ろす稲妻の剣でかき回され吹き荒れる。天の底が抜けたような大雨に大地が打たれる。何度か雨脚の強弱を繰り返しながら、小雨模様になるころには既に強い日差しが射し始める。天と地の間で繰り広げられる地上界の様相は、そのまま小宇宙としての私の内界に繰り広げられる。暗い悪なる霊が暗雲として垂れ込める。湿気を帯び、ねっとりした腕を巻きつけながら、偽りの自分への執着と言う底なし沼に引きずり込む。サタンの思うがままの状態から、悩ませる問題や事故病気といった分別剣が振り下ろされる。剣に魂をえぐられながら、強風に翻弄されるような苦悩や叫び、雨のように滴り落ちる涙が内界の嵐の様相だ。悶える嵐の様相を内面に見ながら、ひとつまたひとつと執着を削ぎ落としていくのだ。サタンに根を持つ執着心を削ぎ落とされた所から、真の父母に根ざす、為に生きる心が芽吹いてくる。自分の内面に良心作用が強く強く働いているという実感があるだろうか。正午定着の自我の太陽が、陰り無く内面様相を照らし出しているだろうか。

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