2009年6月9日火曜日

本体論

2013年までをどのように歩む事が最善なのか。御父様の願いをその心情動機そのままに熱いものとして受け取り、受け取ったものを湧き上がりほとばしる衝動に変えて、実体として証できるものとして創造する。上から追求されるままに行動しても、自分の意志が伴わない限り他人事の域は脱しない。誰に言われるでもなく受け取ったものを自分の切実なる願いとして昇華させない限り、願われもし押されもしたけれど、今までがそうだったように2013年の1月13日も溜息混じりに迎えざるを得なくなるだろう。後が無い後が無いと言われ続けた我々に取って、この2013年に対する願いも今までと同じ‘後が無い感’となりかねない。狼少年の話ではないけれど、どれだけ切実だと言われてももはやその言葉に反応することは無くなっている。今までの自分が捉えていた信仰観すら否定し、御父母様とみ旨に対する全く新しい捉え方を新しい信仰観として自分の中に備えることが必要だろう。新しい出発として本体論を頂いた訳だが、本体論を通して全く新しい信仰観が自分の中に或いは食口全体の空気感の中に目覚めなければならない。あまりにも急ぎ足で講義を進められたけれど、皆の中に本体論を受けたことで頂いた、新しい私と言う信仰体を成長させる芽が植えられている。今までの様々なしがらみの染み付いた柔軟性の無い固まりきった信仰体をこの新しい本体論的信仰体に変えることで、思考形態、感情形態を含めた自分自身が変わり、行動動機が変わり、環境が変わり、そして勿論霊性の開発が大きくなされていく。その過程を難なく進める為には、絶対性を骨組みの中心的核として自分の中に備え置くことが最も大切だと感じた。絶対性、即ち絶対生殖器を全ての核として、そこから発する生命でありそこから発する感情であり、あらゆるエネルギーが絶対生殖器から発っせられる。今までの性に関する感情や罪意識や後ろめたい気持ち、或いは堕落とは性の堕落として間違いを犯さないことのみが性に関しては重要だという認識、勿論間違いを犯さないことは重要であることは変わりないがそれを守って自己本能を押さえるのみに終始するのであれば、絶対性という御父様が伝えたい本質とは大きく違ってくる。第二の神としての祝福夫婦という神殿創造のブループリントやエネルギーの涌きいずる源が絶対性の中にある。夫婦生活の中に神が直接的に臨在され関与され創造される、その厳粛で神秘的で宗教に勝る宗教的儀式の空間がそこになければならない。ラスベガスはシンシティーだ。偽りの性、偽りの愛で、偽りの人間に蜃気楼を提供している。その雰囲気に影響を受けながら、性の衝動を相手に向けるとするなら、たとえそれが選んで頂いた相対であってもそれは真の愛が花咲く絶対性とはなりえない。御父様が語られる絶対性とは、そんな感覚的条件的なものとは明らかに違う。

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