2012年3月29日木曜日

妹に会って想うこと

留守の間、娘が郵便受けから毎日回収してくれてはいたが、封も開けずにそのままテーブルに山積みされたままだった。広告と封書をよりわけ、その殆どが請求書の類だったが、その中に妹からの手紙が挟まれていた。帰国した折に連絡して会ったが、そのとき妹は手紙を出したことは口にしたが、その内容までは触れなかったし、私も敢えて尋ねはしなかった。実は今年に入ってから立て続けに妹に手紙をよこしている。復帰の為の条件だ。受け取る方は面倒くさがるに違いないし、気味悪がられて却ってどうなんだろうとも思ったが、条件と割り切って出し続けていた。会った時は案の定気味悪がられ、送ってくるなとは言わなかったが、送ってよこすのは手間暇かかるから、送るならEメールにしたらと言われた。妹は昔の子供の頃も、そして久しぶりに会った今も相変わらず素直なままで、わだかまりを持ってひねくれることもないが、難しいことはわからないと言って深く訪ねることもしない。私が高校二年でみ言葉に触れて深く感化されたとき、先ず妹を導きたいと思った。でもお互い離れていて接触することは無かったし、献身生活では連絡して会うことも儘ならなかった。時が経って時間的にも気持ちにも余裕が出てきた頃には、妹は結婚もし子供も生まれ既にそれなりの生活スタイルが出来上がっていた。私が献身して家のことどころか自分のことも儘ならない間、妹は事或る毎に親の世話をしてくれていたから、今会っても頭は上がらないし言う言葉もない。兄貴面して言える立場は未だに失ったままだ。手紙の封を切って、丁寧な文字の文面を追っていくと、私を責める言葉は無くて、家のこと以上に病の妻を気遣ってあげるよう書かれていた。心配する立場が逆に心配されて、自分の不甲斐なさに少し落ち込み、手紙を手にしたまま私は暫く遠くを見た。普通に考えれば、氏族復帰と言ってもどこをどう攻めていけばいいのかわからない。親兄弟からすれば、家を捨てておいて何を今更と思っている。先ずその恨みを埋めなければならないのだろう。ひとつに専念したはいいが多くのしわ寄せが回りに及び、それを補修できなくて足踏みしたままの食口は私だけではないはずだ。しかしそれも致し方のない運命だろう。疲れず愚痴らず投げ出さず、歩み続けなければ今までの全ての歩みを否定したことになる。一滴ずつでも貯め続ければ、いつかは溢れる実りを見るに違いない。供えた条件、捧げた精誠がマイナスとなることはないはずだ。氏族復帰の勝利した証しに目をやれば、焦りもするし溜息も出る。それでも自分の気分や感情に負けてはならず、私には私の開拓しなければならない氏族復帰の道がある。そしてその道を切り開いていくという復帰に対する意志こそが、氏族圏にとっての希望の光に違いない。

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