2012年3月26日月曜日

奇跡を信じる

寂しいとき、悲しいとき、心が挫けて立ち上がれないとき、そういうときこそ奇跡を信じて期待する。御父様に出会い、祝福に与り、しかし願われもし期待もした実りを受け取れずにいる現実がある。年数を経れば経るほどに現実は残酷さを増していくようだ。撒いた種しか刈り入れることはできないと言われれば納得せざるを得ないだろう。手をかけた分だけの実りしか受け取れないと言われれば、無言で頷くしかないだろう。しかし感情として納得できないものがあって、その感情はどうしようもない。愛の減少感とはそういうものだ。寂しいとき、悲しいとき、心が挫けて立ち上がれないとき、そのように愛の減少感を覚えるとき、奇跡を信じて期待して欲しい。なまじ原理のみ言葉をかじっていると、奇跡など起こりようも無いと言うことを理解する。たとえ奇跡は起こるとしても、私の上に起こる奇跡などありえないという絶対的な信仰をもっている。しかし奇跡は起こる。奇跡を信じる者には必ず起こる。奇跡を起こすほどの心情圏の深みに入っていけばいくほど、一気に感嘆して歓びが爆発する感情の高みへ上昇する。私に願い事が起こるなら、奇跡として嗚咽するほどに感謝を捧げるだろうに、他の人にそのことは起こり、その人はさして感謝もせずに当然のように受け取っている。しかしこの逆の立場、私が他の人の切なる願いを当然のように受けていることも往々にしてあるということも理解して、私が気付かない抱えきれないほどの奇跡的恩恵に与っていることは認めるべきだ。奇跡の星が存在し、奇跡の星に生まれて生きていること自体が信じられないほどの奇跡だ。私が願う奇跡など奇跡のうちに数えられることもない。願いは当然のことのように実現する。ただ、、、願い続け、信じ続ける力が必要だ。

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