2012年3月27日火曜日

愛の架け橋

肉体は外界に包まれ外界の中で生きているが、私の心魂が内界を造りその中で私は生きている。外界で受け取る印象を内界に取り込みながら、外界と内界は切っても切れない関係にあるけれども、あくまで私は内界に生きることを実とし、外界は内界に取っては影のようなものだ。外界は肉体を持つ人類皆が共有する世界だが、外界を実だとし内界は影にすぎないと思い込んで、外界のあらゆるものを占領しようとしている。外界は占領するものではなく、外界から受け取る印象を内的に抽出しながら、内的世界を創造するための学びの場だ。外的に受け取るものが重要なのではなく、外的なものを通して内的に受け取るものが重要だ。肉体を戴いてこの外界の学びの場を戴いているが、感謝に溢れ、讃美に溢れる想いを生活の中で際立たせてこそ、私は学んでいるということができる。感嘆の日々であってこそ正しく学んでいる。統一食口であるなら自叙伝に見る御父様の生涯を知っているだろう。ただ知るのみではなく深く学んで私の内界の柱とするなら、御父様と同じ内的路程を踏襲していかなければならない。それは外界からの印象をただ受け取るのみに終始するのではなく、外界に強く働きかけることを意志しなければならないということだ。愛する、為に生きるという意志を差出す訓練が私達には必要になる。肉体的に生きて堕落圏から生命圏への脱出を為すには、思考と感情の架け橋、み言葉と心情の架け橋としての愛する意志、為に生きる意志を差出せる自分になるかどうかに掛っている。心と体の統一は、心と体の架け橋である愛する意志、為に生きる意志なくして統一はありえない。御父様が夜の神様、昼の神様の架け橋となられ、天上地上の架け橋となられ、神様と人類の架け橋となられ、先天時代と後天時代の架け橋となられ、真の愛をその架け橋の意志として差し出されたように、私は真の愛を相続する者となって、愛し為に生きる意志を差出し愛の架け橋となる。

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