2012年3月22日木曜日

新生

夜が去って朝が来る。何度も何度も朝が来る。そして朝になる度に私は生まれ変わる。人生の朝は生まれた時にやってくる。人生の朝は夜を知らずに迎えている。前の日を忘れたままで人生の朝を迎えている。だから誕生はゼロからのスタートだと思っている。しかし忘れた過去の人生が存在している。覚えていなくても過去の人生があり、過去の人生の上に現在の人生は立っている。誕生は一からのスタートと言えるかも知れないが、決してゼロからのスタートではない。人生と言う一括りがあるように、今日と言う一括りがある。今日と言う一括りの朝、私は生まれ変わっている。朝目覚めて今日と言う一日を準備する。青年期に私の理想や希望を抱くように、朝目覚めて今日と言う一日の理想や希望を胸に備える。誰の人生にも深い意味があるように、今日と言う一日には今日一日の深い意味がある。何気なしに朝を迎え、何気なしに同じ行動パターンを繰り返しているけれども、今日には今日でしか出会えない出会いがあり、今日でしか味わえない感情があり、今日でしか創造できない事柄がある。思春期に漲るあの天を突くほどの生命感を、そして躍動感を、私の中に漲らせて朝の出発に準備すべきだ。前世に引き摺られたまま人は人生を出発しないように、昨日までの挫折にも引き摺られず、昨日までの栄光にも胡坐(あぐら)をかかず、今日と言う一日を出発する。今日も朝日が昇る。新しい太陽が昇る。そして私の中にも新しい太陽が昇る。私の中に昇る新しい太陽を見ることができる者が、本当の意味で今日を生きる。

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