2012年3月12日月曜日

今日の想い 385

三月も中旬に入ったが、まだ寒い日々は続いている。ワシントンを発って成田に入国した時は随分暖かかったが、そのあくる日には落ち込むように寒くなり、寒さが苦手な妻は一変に体調を壊してしまった。あれこれとスケジュールを立てていたが、全て白紙に戻して殆どの日数を実家で休むしかなかった。あの震災から一年が経つ。テレビは連日地震と津波を振り返り検証を試みている。普通に思えば、被災した者は運命を恨むだろうし、災害から逃れた者は被災した者に対して負債を覚える。負債を覚えた者たちは、地震や津波は天災として、原発事故は人災として結論付けて、政府を攻撃することで被災者に対しての負債から逃れて政府に負債を負わせようと必死になっている。しかし被災して打たれた者達は、打たれた者として清算されて達観したものが伺える。清算されれば過去の負債に引き摺られることはない。未来に向かうことだけを意志している。災害から逃れた者達は清算されない過去に引き摺られ、被災した者達は未来に向かうことができる。だから、日本の未来は被災した彼らのものであり、希望の芽として芽生えている。被災から逃れた者達がその未来を共にしたいと思うなら、自らの犠牲をもって被災した者達を支えるのは当然のことだろう。政府を非難する前に瓦礫の一欠けらでも自分の家に持ち帰ることだ。犠牲を厭う者達に限って何もせずに声高に政府非難を口にする。マスコミはその代弁者でしかない。マスコミが口を閉ざさない限り、日本は過去に引き摺られ続ける。

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