2012年3月8日木曜日

危機感

危機感を持って歩むということが大切だろう。私達に今必要なのは危機感だ。御父様に繋がる中心者を頂いて歩むとしても、従っていれば何の不安もないと思うだけでは不足な、今の時代を生きている。ある中心に従う兄弟達が、その中心のズレによって御父様の願いとは別の方向へ進むこともあり得るし、危機感なくして闘うべきものを見失ってもいる。現にそういう問題が表面化していて、だから誰にも従わず、御父様との心情因縁だけを拠り所として歩めばそれで十分だ、と思う者もいる。しかしそれは熟慮が足りない。御父様に繋がる内外の血脈があって、私達は系列の中心者を通して御父様に繋がっている。中心に従ったことが問題ではなくて、本性だけではない堕落性もある中心に対して、私はこの中心の本性に従うのであり堕落性に従う訳ではないということが分かれば、ただ中心に従っていれば何の不安もないと言うことにはならない。中心者の中の御父様に繋がっている部分に私も繋がっているという認識があれば、もしその中心者が御父様から袂を分かつようになった時、その中心にそのまま進退をも委ねてしまって御父様の願いからずれて行くような事にはならないはずだ。だから従って行くにしても、常に私の中に闘いを明確にさせる危機感の有無が問われる。そして危機感は必ず恐れの感情を含んでいるべきだ。人間は恐れを感じて初めて恐れるものへの闘う姿勢が用意されるのであって、恐れる気持ちが私の中にない相手に対しては闘う用意すらできてはいない。恐ろしいから闘うのであって、恐ろしくない闘いなど在り得ない。私の中の相手に対する恐れの感情を克己できれば、その実である実体的で表面的な闘いは自ずと勝利に向かう。内的霊的勝利こそ、外的実体的勝利に繋がる。闘うときに表面的外的な作戦は、恐れを克服しようとする意識の上で為されるべきであって、どんなに作戦を綿密に立てて実行するにしてもそれは勝利のひとつの必要条件であって絶対条件とはならない。先ず危機感(恐れの感情)があって、そしてその恐れの感情、即ち恐れという低次霊を克服する過程で勝利の女神は微笑む。これが勝利のプロセスであって、危機感(恐れ)なしではプロセスの入り口にすら立ってはいない。

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