2012年3月22日木曜日

社会貢献

個人生活という時空があるように、家庭生活という時空がある。そして更に社会生活という時空の中でも私達は存在している。その時空の中に存在するとは、その時空の中に関わり合う、即ち良くも悪くも授受作用という相対関係を継続していることを存在と言う。前にも記したように、私達の意識の中には国家、であるとか世界、であるとかは未だその時空に存在して関わり合ってはいない。国家の時空、世界の時空に両足をしっかり下ろして存在してはいない。国家観、世界観を自分の言葉で語ることはない。社会生活という時空には社会貢献として私は関わっている。私の関わる社会貢献の大方はビジネスという形を取っている。ビジネスの発展が社会的インフラの内外の成長をここまで支えてきたと言って間違いはないだろう。システムやツールがここまで進化し、家庭生活や個人生活にも利益をもたらしている事実を否定してはならない。私が社会貢献を意志せずに、社会への避難ばかりを口にしながら社会的利益を享受することは、社会に対して大きな負債を負っていることになる。社会生活という時空で存在しながら、私達の中に社会貢献という認識が大きく欠けているのは問題だ。この社会を非原理世界と捉え、復帰を非原理圏から原理圏に移行する、言い換えればサタン圏から奪い取るという捉え方は、勝利された真の父母が立ってサタン圏ではなくカイン圏であるという今の時代圏の認識からすれば大きなズレがある。私達は私達自身が先ず御父様の勝利圏に合わせて変わらなければならない。旧態依然の認識、そして意識が、私達の成長と発展を大きく阻害している。過去のあるひと時、御父様は私達の神学校に子供をやらず、この世の名門大学に入れることを避難された時期があった。しかし「実体み言葉宣布大会」では御子女様、お孫様達が名門大学にいかれたことに触れ、更に誇っておられる。私は歴史的大会に於いてそのような内容に触れられることに対して不自然さを覚えたが、御父様は敢えてわざわざ歴史的大会でそのことに触れられたのだと理解した。カイン社会に於いて功績を積むことを、勝利した今の時代は願われている。御父様が勝利され頂点に立たれた今は、サタン世界として排するのではなく、アベル圏カイン圏として抱擁しておられる。カイン圏に迎合して引き摺られるのではなくて、カイン圏で証しを立ててアベル圏に引き上げる。そういう新たな時代的認識を、私達は持たなければならない。

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