2012年3月19日月曜日

雪国

長いトンネルを抜ければまさしくそこは雪国で、視界は白い世界に一変する。まさか三月も中旬にかかろうというこの時に帰国して、こんな大雪に見舞われるとは思いもしなかった。一日で降り止むかと思いきや、降り方は衰えるばかりか益々激しく、白と言うよりは灰色の世界を更に色濃くしていく。雪も光を当てない限りは、灰色のうち沈んだ厄介者以外の何物でもない。雪の舞い降りる暗い空を見上げて、不安で破裂しそうな心を静めた、そんな若い頃の雪の印象は今ではもう味わえない。ひたすら止んでくれと願うばかりの私になってしまった。しかしそういう人並な大人の自分も悪くない。それでこそ年老いた親と同じ目線で感情を分かち、同じ話題で会話することができる。暫くぶりに帰ったので、辛うじて動ける親を動けるうちに連れ出してやりたいと思い、道路の雪かきを待って浜田まで車を走らせて見た。スノータイヤを履いていて早く走れる訳ではないが、雪も小雪になってきて、少し用心すれば雪のない下界に下りることができる。雪のない町に着くと、食糧やら、日用品も買い揃えて夕刻近くに帰途に就いた。帰途に就いたは良いが、山陰の小さな町を離れて標高を駆け上って行くと、ちらついていた雪は次第に吹雪となって行く手を遮り始める。強風に舞うカーテンのように、強く波打つ灰色の簾をどこまでもかき分けて登るはめになってしまった。車は前進はするけれども、安全を確保しようとすれば前を凝視し続けなければならない。吹雪に難儀しながら、ヘッドライトに照らされる微かな視界を辿って神経を集中させ運転し続けてはいるが、と同時にいろんな思いも胸の内に去来する。年老いた親と病の妻を乗せている。これから先の親のこと、そしてこれから先の妻のこと。この荒れ狂う吹雪にハンドルを委ねてしまえば全ての患いが終わる、、。神様を知らず、霊界がわからなければ、普通の人間がそういう気持ちに意志を委ねてしまうのも理解できるような気がする。表面上はどれほど平静を装っているとしても、内面に於いてはありとあらゆる想いと選択肢を限りなく渡り続けている。その中のひとつを意志として選択するに影響を与えるのは、多くの部分で血に流れる霊的背後だろう。自分だけで生きているようで、実は抗えない血に流れるものが私を突き動かしている。その血に流れる運命宿命さえも変えるものがあるとしたら、それは事実上私と言う血脈の歴史を翻すことになる。その奇跡的恩恵時代に息をしているという自覚は、統一食口であればこそだろう。最後の急坂を上り詰めて古いトンネルを超えると雪は嘘のように止んでいて、所々に配された街灯の光に照らされた雪の表面は綿のようにやわらかかった。久しぶりに帰郷した私に、故郷はやっと優しい顔を見せてくれた。

0 件のコメント: