2013年1月10日木曜日

今日の想い 520

過去があり、現在(いま)があり、そして未来がある。私は現在を生きている。生まれて死ぬまでの過去であり未来は私という意識に貫かれてはいるが、私が生まれる以前の過去、私が死んだ以降の未来にまで私の意識は貫かれてはいない。それでは生まれる以前の過去に私は存在していないのか。死んだ以降の未来にも私は存在していないのか。食口は霊界の存在を認めていて、死んだ以降を霊界で暮らすと信じてはいるが、霊界は時空を超越しているにも関わらず霊界を地上生活同様時空感覚で捉えている。私達も含めて存在と時空を切り離しては認識できないのが現代人だ。唯物的感覚もそこに端を発している。霊界に私の存在を置かなければならなくなった時、時空、特に空間の枠を外される感覚は、地上で空気を呼吸していたのに突然足場のない水の中に突き落とされた感覚に似ている。勿論地上に生まれるにも産道を抜けながら(母親が胎児を出産する時間感覚と胎児のそれとは異なり、胎児に取っては長い一つの路程)地上生活を準備するように霊界生活の準備期間が用意はされているが、所詮霊界生活は地上でどう生きたかに拠っている。地上生活が霊界とどう関わっているか。今は霊界は地上に取っては無意識圏であって否定することも不信することもできるが、近い未来無意識圏に意識が入り込めば、誰も霊界を否定できる者はいなくなる。私が生まれる以前の過去も、死んだ以降も、私の意識は貫かれることになる。そうなって初めて私自身は血統の一部であることを明確に把握するだろう。親への想い、子への想いは断ち切れないものがあるが、血統が存在基盤であるがゆえにそうなることを知らずにその感情を味わっている。今は霊界へ意識は持ち込めないので、サタンの血統であっても血統転換して御父様に繋がる血統であっても同じ人間に変わりはないと思っているが、霊界への意識が貫かれると、血統の根源が何であるかは、私という存在を肯定するか否定するかという存在自体に関わることがわかってくる。私は自我意識を越えて血統存在である血統意識を持つと、私の一生に限定されない過去にも未来にも生きる私を認識する。