2013年1月6日日曜日

今日の想い 518

御父様が地上で摂理されておられる間は、その都度摂理的大会が開かれ、摂理理解への修練会を開かれ、食口は表面的に見れば振り回されるように御父様を中心とした摂理的行事に合わせざるを得なかったし、合わせるべきだった。それ故に個人的な条件、家庭的な条件、氏族的な歩みは後回しになっていた。その後回しが常套になってしまって終には無視状態になってしまっている。しかし残した条件、実体的歩みは、摂理的行事に合わせたことで帳消しになるわけではない。御父様と共に歩みながら、勝利的歩みを直接に見て触れてきた我々は、今や第二の真の父母となって、私が実体的に御父様の勝利路程の足跡をたどっていくことになる。氏族メシヤとして氏族的長子権を復帰し、氏族的父母となり、氏族的王となっていく路程が私に残されている。個人は家庭を正しく立てようとする過程で立つのであり、家庭は氏族を正しく立てようとする過程で立つ。氏族は本来国を正しく立てようとする過程で立つ訳だけれども、三者会談で氏族復帰をもって同位同参できるとされた。サタンにかけ合って頂いた讒訴圏を免れる恩恵がどれほど大きいか。しかし堕落的見地を未だに引き摺る私は、氏族復帰がどれほど大きな障壁として立ち塞がっていることだろう。天国は一人で入るものではなく家庭単位で入るものだ。家庭を持つことで個の意識から家庭の意識へと次元を上げて、個のために存在していた私は家庭のために存在する私となる。祝福を受けて祝福家庭としての私達は、祝福家庭としてこうあるべきという理想型を持っていて、それを備えて天国へ行けるはずだと思っている。それもままならない状態で氏族復帰をどうのこうのという意識にはなかなかならないだろう。自分の子供もままならないのにそれ以上に氏族復帰への意識を持てるだろうか。しかし家庭が祝福家庭としての理想型を備えなければ氏族復帰への道が閉ざされる訳ではない。個人としての理想型を備えていないにも関わらず家庭の理想型を言うのであれば、家庭の理想型を備えていなくても氏族復帰を標榜すべきだろう。御家庭に於いても、御子女様の問題は現実としてある。アベルの子女に対してカインの子女の支えが足りないからそうなっているという認識を持っている。その理解を氏族メシヤに当て嵌めるなら、私の家庭の問題は氏族の支えが足りないからそうなっているとも言え、私が子供に対して直接対決で解決できないものを、子供の背後からの応援で解決していくことになる。カインの応援が必要になる。幸か不幸か私達は氏族復帰から逃れる道はない。氏族が立たなければ家庭が守られず、家庭が立たなければ夫婦一体圏が守られない。そうであればなんとしても氏族復帰する決意と覚悟を供えることだ。