2013年1月14日月曜日

今日の想い 522

イエス様が十字架に架かられ肉体を捨てられたように、御父様は闘病の果てに肉体を離れられた。イエス様は十字架の後に霊的に復活されたけれども、御父様は既にヘリコプター事故により実体で復活されておられる。イエス様は三弟子からも見捨てられた形になり、一人で十字架の摂理を背負われたけれども、ヘリコプター事故の際は、御父様が三銃士と言われる御孫様達が御父母様を護られた。この事故の僅か三ヶ月前に七男の御子女様を後継者として立てられたのであり、この擁立と、思惑が外れたグループそして背後で彼らを操るサタン的存在の焦りがこの事故の直接的な霊的原因であることは間違いない。私達は全ての出来事を偶然に起こったかのように受け止めているけれども、特に摂理的事項は表面的出来事の背後で熾烈な霊的戦闘が繰り広げられている。イエス様が十字架にかかられた当時も、事ある毎に誰かは十字架刑にされたのであり、イエス様の事件が特別国中の注目を受けて為されたという事ではない。その重大な霊的意味を表現に表す聖書だから全人類が注目するイメージとして表され受け取られているように、このヘリコプター事故も、確かに飛行事故だから大変ではあるものの、不運にも数ある事故の一つに御父母様が遭われたとしか捉えないだろう。しかし時を経れば経るほどにその霊的事実が明るみにされて背景がわかり、歴史に残る天宙的一大事件であることを認識するようになるだろう。御父様の闘病についても、御父様は無意識の状態、痛みを感じない眠った状態で床に着いておられたと思っているかも知れないけれど、麻酔を打たれて気付いてみたら手術は終わっていると言うのとは訳が違う。口から通された管を噛み切ろうとされて歯を痛められたという闘病様子を聞いてもわかるように、御父様は確実に意識を持ち、その時を待って命尽きることを意志されながらも、しかし一方でその時までは肉体の死に打ち勝とうとされ、十数日の壮絶な戦いを戦い抜かれて肉体を離れられた。イエス様が十字架で亡くなられるそれ以上の凄惨な最後を、それはイエス様は流された血で地上を変えられたけれども、御父様は歯を砕いてその御意志を地上に流された。生涯を通してみ言葉を語られた同じ口で御意志を地上に流された。地上は御父様の意志が杭打たれた。地上を御父様の意志が貫いた。その間私は何をしていただろう。同じように食べ、同じように眠り、同じように笑って同じように生活していた。普通に心配もしたけれども、ごく普通の心配だった。おそらく子供が病気の時の切実さ以上の切実さが、そこに込められていたとは情けなくも言えない。私は重大で切実な御父様の戦いの期間、真剣に尋ねようともせずに、知らない立場に落ち着いたまま負債を積み重ねていたらしい。御父様に正しく出会った者、御父様に救われた者でありながら、三度否定したペテロの比ではない、大きな心情的裏切りをしでかした格好になったかも知れない。