2013年1月7日月曜日
今日の想い 519
献金、万物復帰、伝道。願われるみ旨であっても、その言葉を聞いただけで暗い顔にさせる重いものを受け取ってしまう。その言葉に嬉々とした感情を覚える食口は今では稀だろう。人間が感情の生きものであることの所以であり、それらの活動を行ってきたことで恩恵よりは否定的な結果が残ってしまったという体験がそうさせる。人間としての意識のベクトルが地上に向いている限りは、この世的恩恵に触手が動くのであり、霊界を信じ霊的恩恵を受け取りたい自分だとわかっていても、やはりこの世的恩恵の方に偏りがちだ。ましてや信じるに至らない者達を勧誘しようとすれば霊的恩恵などわかろうはずもなく、どうしても相手の感情に否定的波風を立ててしまうし、それによって自分の感情もその余波を受けて悲観的になる。み言葉を受け入れる伝道が大きく躍進するとすれば、地上人間の意識のベクトルが霊界に向き、霊的事実、霊的恩恵への触手が大きく動く時だろう。天地の仕切りが完全に消え失せて人々の意識が180度変わると言うなら、基元節を越えてもしそうなるなら、一瞬にして地上の摂理は進むだろうけれども、そこまでの奇跡的条件が我々にない以上回り道をしながらみ旨を進めて行く以外ないと思う。それはこの世的恩恵を餌にする囲い込み作戦だ。私に繋がれば、或いは教会に繋がればこの世的恩恵、地位名誉財産を得る実力や方法を得ることができるという餌だ。手かざしすれば病気が治るとか、御題目を唱えれば活力がでるとか、胡散臭いとは思っても事実それで病気を治している教団もあり、実際に活力が出て証しとなっている。正直に言って今の我々には何もない。餌としてのこの世的恩恵がない。私達は意識のベクトルが霊界に向き、神様や神霊に向いている者達だけを対象にし救済すればそれでいい訳ではない。人類の救済を本気で考えるなら、そして天地の仕切りが完全に消え失せる奇跡的条件がないなら、この世的実力を備える回り道しかないだろう。御母様が七年路程を宣言された以上、早急に実力を備え、見せて誇れる証しの実体となり、この世的恩恵をもたらす光の存在となることで氏族や彼らの意識をみ言葉に、霊界に、神様に方向転換させることができる。基元節を越える私がどうなるべきかを模索してきたが、七年路程の宣布と共に、未だおぼろげながらでも暗闇の中に薄ぼんやり見えてきたものがある。