2013年1月1日火曜日

今日の想い 515

御父様が買われた資産がある。御父様によって育てられた事業がある。それらはサタン圏から復帰された資産であり事業であり、それを足場に更なる復帰を為してこられた。もちろん外的なことを言えば、多くは日本食口の万物復帰によるものだと言えるかもしれないが、お金の流れだけを追ったとしても復帰がどの時点で確定したかはわからない。わからないが御父様の願いに応えようと、汗を流し涙を流し、精誠の投入が秤にかけられながら積み上げられて、結果として復帰された資産を見ているといえる。御父様に捧げた精誠を形として見ている。捧げた精誠は御父様に属するのであり、私は御父様に所属する資産となった精誠を管理している管理者の立場にある。以前、御父様はアメリカの摂理の為にモービルホームを買われたことがある。それは兄弟がそれで街々を移動しながら対象者に原理のビデオを見せて伝道する、移動式ビデオセンターだった。モービルホームで復帰された兄弟がいるのかいないのか、どの程度活動したのかさえ知らないが、私が今の店に移動になったときには既に貸りていた倉庫の駐車スペースに置き去りにされていた。野ざらしにされて使い物にならない車を、毎月の駐車料だけそれぞれの店で払い続けながら、そのままになっていた。経費が嵩んで処分したくても御父様の許可は当然出ない。当時の責任者が御父様にどうかけあったのかはわからないが、結局処分せざるを得なかった。御父様が買い求められたものは復帰された資産だ。復帰された資産を私の手で処分したという事実は私の中でしこりになっている。そのしこりは大きな出来物となって私の腰に存在している。あずかった店は私の管理にあるけれども私の店ではない。この店が御父様の店であり資産であるという重みを覚えて支えない限り、私は管理者としての資格を蔑ろにしたことになる。毎日の営業で、どうお金を受け取りどうお金を使うのか、どんな想いがそこに関与しどんな想いを込めるのか。想いや念としてのお金が、更に精誠とされて天に受け取られる為にはどうすればいいのか。何年経っても何もわかっていない私は、とにかく営業の火を消さないように必死で支えているつもりだけれども、それでも御父様の前で顔を上げて報告できる内容はひとつもない。