2013年2月19日火曜日
今日の想い 532
久方ぶりに教会へ行った。売上の為に日曜の昼もオープンしてから、しばらく日曜礼拝には行けずにいる。私に取ってはこの店こそが教会だと思っているから、サンデークリスチャンならぬサンデー食口ですらないことにもたいして負債はない。日曜礼拝に行くことだけで満足してしまっている食口は、敢えて距離を置くことを考えてもいいかも知れない。ひと昔前、環故郷といわれてアメリカにいた日本食口にも帰国の号令がかかり、ビザのない者からどんどん帰国していったが、そのうちの何人が氏族復帰への道を築いただろう。しかし実際はこう問わなければならない。帰国した食口の何人が信仰を保ち教会に繋がっているだろうかと、、。もし私もあの時環故郷していたら、根のはりの浅い私の信仰など、押し寄せる非原理世界の前に音もなく砕け散っていたに違いない。そうなると信仰があったから残っているのではなくて、荒波にさらわれないように安全圏でじっとしていたから残っているだけの話だ。先ずこの自覚を備えて、離れて行った食口に対する蔑みと己の奢りを悔い改めなければならない。意外と離れたはずだと思っていた食口が、教会的な方法とは別の、予想だにしなかった切り口で、摂理への新たな貢献をするかも知れない。天の父母様から見れば地上の国境の壁など存在しないように、離れた食口も居残っている食口も同じ食口だろうし、さらに聖酒を戴いて祝福を受ければ過去の遍歴をとやかく言える者は誰もいない。意外と距離を置いていた食口の方が、過去の罪の自覚が明確で、悔い改めは罪の自覚が深いほどに赦しに対する感謝もひとしおであり、そうなれば御父様の願いに応えたいという想いも勿論強く働くはずだ。御父様を中心とする今までの歩みは、勝利の為の布石を出来得る限り打ち続ける歩みであったけれども、これからの御母様を中心とする歩みは打たれた布石をして結果を出す歩みだろう。七年路程は伝道であり、氏族復帰であり、祖国創建だ。だから目的認識に於いては一貫しており、今までのように新たな摂理の願いが飛び出して翻弄されることなないと思っている。今までは教会は上を下への大騒ぎだったけれども、社会と世界は意外と落ち着いていて、表面的に見れば一人相撲のような格好になっていた。しかしこれからは家庭連合の方が一貫し、逆に社会と世界は天と地が逆さになったような大騒ぎになっていくだろう。そうなるとサンデー食口のままでありながら、さも自分は信仰を保っていると誤解したまま安堵している者達に比べ、世間の荒波を真正面から受けて、自分の信仰の弱さを味わいつくした食口の方が、信仰の根をしっかりはろうという根深い決意と覚悟を差し出すだろう。