2013年2月24日日曜日

清平批判?

他の誰でもない。信仰は私が立てる。そして実体も私が立てる。私は私を救うメシヤをその上に立てる。分解しそうな家庭であっても、家庭の中心は私が立てる。そして祝福家庭としての実体も私が立てる。散り散りバラバラな氏族圏であっても、氏族の中心は私が立てる。そして氏族メシヤとして氏族復帰の実体も私が立てる。その為に私は貪欲になる。貪欲になって全てを手に入れる。全てを手に入れれば、生きる為には全てを持っている私に誰もがすり寄ってくるだろう。彼らを復帰しようとすれば、生きることの執着を手玉に取って復帰する以外ない。天の威厳を見せつける。口の重い私が、何も持っていない私が、どうなるか思い知るべきだ。ヤコブがエソウを屈服させ復帰させた同じ方法を取る。清平を批難する者がいる。金と権力を私的に使っていると口角泡を飛ばす。しかし批判する彼らは金と権力には無縁な者達だ。金と権力が無ければ家庭も氏族も見向きもしないと思っている私にすれば、批判する彼らはどうやって氏族復帰を為そうとしているのだろうかと思う。まさか親族一軒一軒尋ねて、み言葉を吟じ、托鉢すれば氏族は復帰されると思っている訳ではないだろう。霊界の先祖がお化けにでもなって説得してくれる訳でもないだろう。ではどうするのか。彼らは、というか食口の殆どは氏族復帰の意志を持ってはいない。それか霊界に意味もない期待をかける他人任せでいる。私は敢えてはっきり言う。私は清平を、清平をして金と権力を手中にした訓母様をあっぱれだと思う。まさしく霊界を主管して手中にしたものであり、食口の一部は批難しようとも霊界は訓母様に何の咎めることもしないはずだ。御父様の願いに応え、氏族復帰に責任を持つ行動に拍手喝さいだ。先祖解怨、先祖祝福の為に、清平には少なからず献金してきたが、それを使って戴くことで是非とも訓母様の御霊光に与りたい。たとえ幾分か私的に使ったとしても、清平の施設とワールドセンターに注ぎ込んだ量に比べれば、それは必要経費の範疇だろう。私のように小さなOには一つのXが入れるかどうかだが、訓母様のように大きな大きなOには多くのXを許容できる。

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