2013年2月26日火曜日

今日の想い 536

一言で人類の救いとはいっても、70億を超える人類のひとりひとりが分かたれた個の心魂存在である以上、全人類の復帰が簡単ではないことはわかりきっている。誰もが罪に悩み、救いの真理を求めて彷徨っている訳ではない。様々な宗教があり、それらの宗教への帰依を通して救われると信じ切っている者達に、あるいは科学万能だけを拠り所とする無神論者達に、見えない心魂の、蓋をしてしまった底に沈殿している正体を気付かせることは至難の業だ。この世界に大きな変動もなく、この地球の地盤に何らの変化も起こらず、相変わらず踏み締めて暮らすことができるのに、その上でも人類全てを復帰できるだろうか。地上天国をソフトランディングでなそうとしても見通しがつかないなら、世界が激しく変動して生活を脅かし、固く動かない地盤が波打って生命を脅かす、そんなカタストロフィーに落とし込んで地上天国、実体的天一国の始動に弾みをつけるハードランディングを天の父母様は選ばないだろうか。私なんぞは早々と見切りをつけて、きっとハードランディングを選択されるはずだと見込んで歩んできた部分も実は否定できない。それに関する御父様の御話には自ずと敏感になり、どうしてもその部分の印象だけが強く残る。日本が太平洋に滑って落ちて藻屑となる、日本が五つに分断される、富士山が流れてしまう、等々、その手の御父様のお話が私の頭にこびり付いて離れない。しかしハードランディングの認識と期待ありきで願いに応える自分にはなれないだろう。私はこの手の距離を置いてみる見物人的未来予想を一端封印する必要がある。基元節は開門されて時の流れは天地開闢に突入した。時の流れの意味が先天時代とは全く異なっている。時の流れに主管され、流されるままの自分では、先天も後天も何ら変わりはない。しかし、時空を超えて主管できる私を決めるのは私自身だ。私が時空を超えた位置で、天地開闢の天宙的運勢圏から運勢を引き込むためにどうするべきか。私はずっと前からわかりすぎるほどわかっているはずだ。愛する。それ以外ない。生命を賭して愛する。真っ直ぐにひたすら愛を投入し続ける。下手な思考も、生ぬるい感情もほったらかして、愛する意志を発熱させ、燃え上がらせ、愛という燃え上がる意志の塊を投げ続ける。

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