2014年2月13日木曜日
機械文明から生命文明に
昼の現実を夜の事実の海から触媒を汲み出し、主管的、創造的にみ旨の願いに適った現実へと変えていく。置かれている現実に翻弄される限りは、全ての愛の主体であられ、主管主であられ、創造主であられる天の父母様との経路を断ち切られているか、或いは正午定着的な関係性を持ってはいないと言えるだろう。見て聞いて手を加えている現実という感覚世界は、その本質を見届けることなしでは顔のない変幻自在の怪物のようで、或る時は弄び或る時は包み込み、そして或る時は容赦なく牙を剥く。現実をどう手懐けるかは、現実を越えた位置で現実を主管できなければ、逆に主管されてしまう。現実というこの感覚世界を主管するためには肉体の存在、心魂の存在を超えて霊の存在、精神の存在の私を自覚するのでなければ、現実に対する主管性も創造性も備わらない。認識すべきことは、感覚世界に於いて、これまでは外的無知を克服することで鉱物世界への主管性と創造性は復帰されてきたけれども、植物世界、動物世界への主管性、創造性は未だ多くは復帰途上にあるということだ。科学の分野では鉱物の力を創造的に用いて現代文明を築いたけれども、植物の力、すなわち生命の力を主管するには至っていない。生命の経過は認識できても種子から生命が発生する力については殆ど無知だ。鉱物世界を頭脳で認識し応用したのに比べ、植物世界は心魂作用で認識し応用できるのであり、人類が心魂作用を能動的に働かす存在となるには至っていない。平たく言うと、愛の人類には至っていない。統一の群れこそ愛の人類としての進化的最先端で、愛の開拓を担う者であるけれども、御父様の言うところの真の愛を発動できる我々となるために訓練を受けてきたが、開拓に於いて犠牲と困難が伴うのは当然であり、落ちずに居残った者達こそ新しい真の愛の人類の先祖だと言われるに値する。人類が生命の力を主管、創造できれば、想像だにしなかった人類文明が築かれる。種子に意志を投入することで、目の前で瞬時に芽を出させ、花咲かせる業ができるだろう。機械文明からは想像もできない生命文明が未来に待ちうけている。私を翻弄する現実を、牙を剥く現実を、愛で昇華することこそ愛の開拓者としての私の使命だ。苦々しい現実を愛おしく思えれば、愛の勝利の女神が直ぐそこに待ちうけている。
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