2014年2月1日土曜日

天一国2年を迎えて

天一国2年を迎えて敢えて言いたいことがある。祝福家庭は祝福家庭としての本分を果たすべきだ。創造目的は地上天国実現を持って為される。復帰摂理の第一次的目的も地上天国の復帰であって、地上天国、即ち実体的天一国の実現をもって天宙復帰は為される。私達は意識のベクトル(方向性)を180度転換しなければならない。個人を復帰して家庭、家庭を復帰して氏族、氏族を復帰してそれから国家、という流れが観念として私達の中に固定されている。だからどうしても家庭復帰、夫や子供を繋げることに躍起になるし、子供の祝福に奔走している。それに執着していると言ってもいい。そうして氏族復帰へと意識は向かうが食口の意識の光が及ぶのは最長氏族復帰であって、それもどうしたら復帰できるだろうかという方法論に遊び、決意と覚悟を差出すほどの濃密化された意識は届いていない。それ以降の国家復帰、天一国実現ともなるともはや抜け殻の言葉に過ぎなかったりする。御父様は明確に天宙復帰を視野に置かれることでブループリントとしての天一国を創造され、そのブループリントに従って実体の天一国実現を願われて私達に託された。その描かれたブループリントをありありと見ている食口がどれほどいるだろうか。今の食口の基準からすると、三年で天国はできると、全世界食口フリーパスの世界になると、幼稚な天国情景描写、天国知識ではあったとしても格段に40年前の食口の意識の方が高かった。変に知恵がついたのか、地上の現実に染められたのか、今の私達の冷めた意識が高邁だとはとても言えない。御父様は御家庭を犠牲にされなかっただろうか。御子女様を放って置かれることを願われた訳ではない。よりカインの子女を愛し、より公的な立場を優先された為に結果として御家庭が犠牲になることになった。その御父様を見てきた私達でありながら、子供の教育の為にと言い、子供が信仰を立て祝福を受ける為にと言い、氏族復帰だと言い、そう言いながらより公的な位置を蔑ろにして御父様の前で言い訳が立つだろうか。実体の天一国実現に決意と覚悟を差出し、灰も残らないほどに燃えに燃えてこそ、氏族復帰も、それから子供への関心も本物になる。心情に立つことと、条件的なことは異なる。勿論、子供は祝福を受けさせるべきであり、氏族は復帰すべきだ。しかしそれは御父様の心情に立つ時、必要条件ではあるかも知れないが十分条件とはならない。三代圏が立つ家庭を祝福して讃美し、氏族復帰が形になっている家庭を畏敬の想いで見上げ、しかし一方で実体の天一国実現に向けて私には私の使命があり、それは未だ家庭が立たないことや氏族が復帰されないことへの減少感や偏った執着心を克服して立てるべき私の本分だ。私が祝福家庭として立てるべき本分だ。カインの正道として立てるべき本分だ。そこに思いが至れば、今何をすべきかが見えてくる。私にとっての真の愛といえるものの実践だ。

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