2014年2月19日水曜日
天国は二人の国
天国は二人の国、という説明は実に明快な表現だ。み言葉を知らない者にとっては呆気に取られる説明なのだろうが、原理を学びみ旨を歩む者からすればその説明を咀嚼すればするほど、一方では仲良く幸せな夫婦で暮らす国だけれども、一方では夫婦が一つになる為に不断なる努力と犠牲が必要な国だという、理想的感情と犠牲的感情の両方を味わうことができる表現だ。もちろんこの二人が夫婦という関係性だけではなく、父子関係であり兄弟関係でありという二人のことも含まれての二人なのだが、地上天国の生活圏に最も近いのはやはり夫婦関係がどうあるかだろう。天上天国の在り様を言うなら、父子関係で上下、夫婦関係で右左、兄弟関係で前後が、愛を呼吸し愛で空間が形成される霊的空間としての広がりを決定するのだが、それでも愛の存在実体から愛の立体空間、さらに愛の色彩や音色、愛の表現等を創造していくのは夫婦一体理想が中心的核になると思う。天国はそれぞれの夫婦によって異なる天国世界が現れる。個人が個性真理体としてどれ一つとして同じ存在がないように、それぞれの夫婦が住まう天国世界も全て様相が異なっていて、御父母様は祝福家庭それぞれの天国世界を回られ訪問されながら喜び楽しまれるはずだ。未だ地上天国は為されずと思っているのかも知れないが、御父様は地上天国を経験されることなく天上に上られたのだろうか。地上で天国生活を為して天上でも天国に住まうというみ言葉が正しいなら、御父様は既に地上に天国を築かれ天国生活をされて後、天上で天国を築かれ天上天国を開いておられるはずだ。私達の天国という観念はみ言葉から見出される天国観念なのか、それともみ言葉と関係なくみ言葉を受け入れる以前から持っている観念なのか、そのどちらだろうか。「平和の主人血統の主人」の復帰した天国からわかるように、家庭を持たれた御父母様は既に天国の最小単位を築かれたはずで、御父母様が幸せに暮らされればそこは新しいエデンの園だ。私達が夫婦一体圏を為せば天国の基であり、見たり聞いたりする外界に天国を見つけようとしても所詮外界のことであり、それはみ言葉を受け入れる前の天国観念から離れていない。天国はこの夫婦一体圏の中にこそ探すべきだ。
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