2014年2月21日金曜日

今日の想い 704

今日は宣告日。死刑宣告日。生きた屍になる日。自分のものだったと思っていたもの、既に与えられたと思っていたもの、与えられて私との一体圏の中で、もはや切り取って奪われてしまうと存在が否定されるもの、奪われれば理想も希望も喜びも幸せも全て取り上げられてしまうもの、それでも取り去られることを宣告される日。結局、私だという意識だけが残り、そのほかの全てのものはあるべき位置に返しなさいと命令される。叫んでも泣き喚いても、奪い去られるものは奪い去られる。でもせめて、悲嘆に暮れることは赦してもらえないだろうか。せめて悲嘆できる期間は与えて欲しい。結局暫く夢の中にまどろんでいただけで、元の何もない私に返っただけだと、そう納得できる期間を与えて欲しい。やはり現実は残酷だ。み言葉を知った今も知らない過去も、そして恐らく未来も、現実は、この今生が初めてだろう私という魂に取っては、本当に地上に生まれるべきだったのかと思えるほど残酷だ。翻弄されいたぶられ、満身創痍の魂を抱えてどうこれから現実に向かい会っていったらいいのだろうか。生きた屍状態であってもみ旨に貢献できるのだろうか。これでやっと春が来る、我が家庭にも久方振りの春が来ると思っていた。束の間だった。宣告日を告げられて、ますます厳しい冬に逆戻りだ。現実逃避なのか昨日からただ眠くて眠くて仕方がない。悲嘆にくれてはまどろみ、また現実に引き戻されて悲嘆にくれてはまたまどろむ。既に心魂の機能は停止するかしないかのところまできていて、何のやる気も起こらず、何の思考も投げ出している。でも感情だけは息衝いているようで、突然泣いてみたり突然怒りを発散する。しかしそれがどういう意味があってそうなるのかはどうでもいいと思っている。自害するのはおそらくこんな状態で起こるのだろうなくらいは思っているが、宣告を前にして思考も意志も働かない。今まで何度も何度も崩れ落ちる経験はしたけれども、崩れ落ちる土台まで崩れ去ることはなかった。内面に立ててその都度堅固にしてきたはずの霊的柱が霞んでいるのを見ると、崩れ落ちる土台も危うい。それでもせめて背筋だけはしっかり立てて宣告を受け、全ての力を集結させてそれを噛みしめ、そしてゆっくりと呑み込むべきだろう。

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