2014年4月17日木曜日

今年もまた桜に会えた

氷点あたりを行ったり来たりしていた大気温度は先週あたりから急激に跳ね上がり、この勢いだと夏の猛暑に直ぐにも襲われると焦ったのか、一昨日の朝には僅かに芽吹いている程度で色合いなど全く感じさせなかった桜も、その昼には蕾となり、さらに綻び、夕方霞の晴れる頃にはどの桜の木も見事に花開いていた。しかし花開いた翌朝には既に散り始め、何処から来て何処へ向かうか知れない気紛れな春風に煽られて日がな桜は舞い上がり、今日は朝から冷たい雨が降り続いていて、暮れる頃には木々は既に色褪せた葉桜になっていた。今年の桜は冬が長かったせいで、ここ数日の気温の上昇に騙された格好になってしまった。もう少し様子を見る余裕があったら、そんなに生き急ぎ、散り急ぐ必要はなかったはずだ。そう思えるだけに、自然の摂理でも人間社会と同じように、そんな駆け引きがあるものなのかと思わされる。それでも、一気に咲いた花々に春の嵐が吹き荒れて、 一斉に花弁の散って舞い上がる様は見事だった。カインによるアベルの殺戮以降、人類は事あるごとに戦争の強風に煽られて、多くの若い命を舞い上がらせ散らせてきた。民族霊の大木に魂の鈴なりに芽吹いても、生贄の儀式が神とサタンの見守る中で為されて、花開く間もなく死の舞を躍らされてきた。遥か昔から、散り逝く桜の木の下に佇むと魂を抜き取られてしまうという言い伝えがある。今でこそ一笑に付す話だけれども、戦いに明け暮れ血の乾く間のなかった歴史が続けば、犠牲となるとも地上への未練から往生できない魂が、地を這うようにそこ彼処で揺らいでいた。特に桜の花弁は魂達にとっては格好の仮の休息場だった。可憐で命短い存在こそ浮遊する魂達の相対基準となるからだ。散り逝く桜の木の下に佇んでいれば休息場を失う魂達の憑依の対象となる。しかし本来花々は、光の霊を受け取るための器であって、陽の生殖器を受け入れる陰の生殖器のように、太陽の光の霊を受け取るためにそれぞれの美しい花弁を天に開いている。それぞれの花は我こそはと咲き誇っているけれども、花々の中で桜の花ほど健気な花はないだろう。数日の春の柔らかな光さへ相見えるならそれ以上望むことはしない。一瞬の逢瀬を有り余る喜びとして、愛の高揚の酔いの冷め遣らぬうちに散り逝く。桜が散り逝くときの放つ香りほど、健気な女性の愛を表わすものはない。妻には申し訳なくて言えないけれども、散り逝く桜の花が表現するように慕われ愛されたい。実は妻と一緒に桜吹雪の中に暫く佇んでいたけれども、妻は私の想いがそんなことになっているとは露ほども感じていなかっただろう。私がもし正直に桜の花に愛されたいと言ったら、妻はどんな反応を見せるだろうか。

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