2014年4月12日土曜日

今日の想い 721(芽吹いたアロンの杖)

堕落が決定的になったのは、霊的堕落から肉的堕落を経て、最後にカインがアベルを殺したと言う殺戮行為で堕落は決定的になった。霊的堕落は神様のように賢くなりたいという動機から善悪の木(認識の木)の実を取って食べたという知情意的には知の堕落、肉的堕落はエバの恐れがアダムを誘惑しアダムはエバに絆されて時ならぬ時に行為に及んだという情の堕落、殺戮行為は堕落を形にしたという意の堕落となって堕落が決定的になっている。ちなみにカインがアベルを殺害した1対1であるのに大業に殺戮行為としたのは原理にそう記されているからだが、聖書に1対1の殺害のように描いたのは実は象徴であってカイン族がアベル族を殺戮した事実があると私は見ている。人間が霊的存在、肉的存在としてだけではなく、霊肉が相関わる心魂的存在でもあり、3位相界にわたる3数存在であるように、地上界に起る出来事に於いても地上的現実の背後には心魂的背景があるし、心魂的背景は霊的事実によっている。人間は堕落して神もサタンも関与できる中間位置で生まれることになったが、よって神に信仰を立てていた者がある時手の平を返したように急にサタン側に立つという愚かさを持っていると共に、地上の現実は現実だけれども、人間が現実に対してどういう態度を取り、どういう対処をするかで、霊的事実という当然の原因から、別の事実としての霊的芽を発芽させる力がある。起る現実は否定できないけれども、現実に対する態度と対処如何によっては別の霊的事実を引っ張ってこれる。人間の態度と対処は心魂での働きであり、復帰の摂理は打たれた現実から、本人の心がどう態度を取るかによって、神が主管できる霊的事実の芽を吹き出させて霊的血統を繋げる復帰のみ業だ。先ず打たれてそれから奪うという神様の戦法は、打たれた現実から神願う心魂作用を発動することで霊的事実の芽を吹き出させる。打たれて打たれて立ち上がれない状況でも、それでも信仰を失わず信仰的希望を、神様への慰めを、打たれても裏切らないはずだという信頼に対する感謝を、そんな態度が新たな霊的事実の霊的芽を吹き出させる。これこそが神様の霊的血統圏にあることの証だ。血統転換という概念、特に霊的血統の転換という概念は、芽吹いたアロンの杖の如く、堕落によってサタンの血統になったという霊的事実から神様が主管できる事実を芽吹かせて、新しい霊的事実として成長させるという、地上の現実から心魂を経て霊的事実の復帰という逆経路を取っている。死んだ杖から生きた芽が生じる。霊的死から霊的生が発芽する。堕落もエバがアダムを誘惑しないという罪の繁殖をせずに霊的堕落止まりであったなら、すなわち心魂を死亡圏に巻き込まなければ、ここまで復帰摂理がややこしくなる事もなかったはずだ。私達は復帰に関しては随分無力な存在のように思っているけれども、霊と肉の狭間で心の態度をどう持つかで善霊発動ができる。しかし堕落性がみ旨への邪魔をしており、堕落性があると教えられても堕落性を自分の中に認識してはいない。堕落性が抜けて心魂が耕されれば、様々な霊的芽が発芽して新生自分を実体験する。

0 件のコメント: