2007年3月25日日曜日

個性真理体

店の従業員一人一人を見ると多種多様だ。皆それぞれにいろんな個性を持っている。いろんな個性があるから私との反目、或いは他の従業員との反目が出てくる。と同時にその個性故に他の人とは違う力量を発揮しもする。個性それ自体をいいとか悪いとか決めることは責任者であってもしてはいけないしできない。最初は私も個性と堕落性を混同していて使えないものは使えないと決め付け、剃刀のような判断をした時もあった。その為恨みの多くを買った。もちろん今でもひとりの人間を見極めるほど成長している訳でもないし、当の本人にして自分の個性も堕落性も認識していないことの方が殆どだ。こういう実験結果がある。蟻百匹集めて行動を取らせると、働き者の蟻でありながら二割ほどの蟻がどうもサボる。そこでその二割の蟻を取り除いて完全な働き者集団にするのだが、しかしそのうちの二割がまたサボり始める。そこでまたその二割を取り除いて見るが同じことが起こる、というおもしろい現象だ。これをどう解釈するかというと働き者の蟻でさえ怠けるものが何%かは出てくる、と言うことではない。これは働き者の蟻であるからこそ余裕のある蟻の存在が必要である、と言うことなのだ。要するに全体として働きのレベルを維持する為に何%かの余裕が必要であり、それ故に他の蟻が安心して一生懸命働くことが出来る。100%皆が全力疾走していると自分がばてても自分に変わるものがいない。しかし余裕を持っている蟻の存在を認識すると自分がばててもあの蟻が頑張ってくれるから杞憂なく頑張れる、と言うことなのである。私はこの話を聞いて大きな気付きを得た、と言うか反省した。それまでのギスギスで杓子定規な判断をキッパリやめた。普通、責任者は従業員を判断するに態度、スキル、仕事量、協調性等を判断材料とする。しかし多くの客を得ようと思えば客を引き付けるだけの魅力を店も従業員も持つ必要がある。客がこの店に行きたいという衝動を感じるのに、上記の判断材料は直接的意味を持たない。よくわからないけどこの店に足が向く、と言う状態がその店のパワーだ。心に何か感じた客はうちの店から遠ざかることはない。目の前にいる客に喜んで欲しい、幸せになって欲しい、という思いは言葉に表情に態度に必ず現れる。従業員が向かおうとする所がその意識であることが何よりも大切だ。他の会社はどうか分からないが店のマネージャーとして最も大切なことは従業員にその気付きを与えることである。と同時にその従業員の個性に対する気付きを本人に与えることだ。その個性が店にとってどう貢献できるのかを認識するということだ。責任者として従業員を愛する、為に生きる気持ちがなければ気付きを与えることは出来ない。従業員に対してマネージャーの意に完全に沿うことを期待すると従業員はバーンアウトしてしまう。二割前後の余裕を与える意識を持つと従業員は成長できる余裕を持てる。自己を見つめるそして自分の個性が何でありどういう貢献ができるかを浮き上がらせる為にその余裕が必要だ。本当に力のある店は上に対して言いなりになる従業員を育てた店ではなく、個性を見出しそれが店にとってどう大切なものなのかの認識がある従業員を育てた店だ。

仕事に対する絶対信仰

経済とは肉体に於ける血液循環のように国や世界の循環系をいう。血液は循環しないとその働きがなされないように、金も回っていかないと経済の活力は出てこない。それぞれの臓器が他の臓器とどういう関係性を持っているかを考えると、個人や会社が、ひとつの社会的組織として社会の中でどういうスタンスを取るべきなのかが見えてくる。どの臓器だって自分が全ての血液を我が物にしようとはしない。全体にとって良くないだけでなく自分にとっても破壊行為となる。そう見ると経済活動に於いて儲けだけに専念するという行為が破壊行為に繋がるというのは簡単に納得できることだ。我々の組織が儲けた金を捧げるのであるからどこよりも公的団体である、そう認識するのはある意味詭弁だろう。そうであると断言するなら最初から経済活動などせずに銀行強盗でも何でもやればいいということになる。客に向いては内心金を出せと叫び、天に捧げる時は敬虔な心を持つ、という使い分けが出来る人間を私は信じることができないし、そんな人間もいないはずだ。下を向こうが上を向こうが為に生きる気持ちを変えたいとは思わない。この世に於いて、大小に関わらず残った会社や店は公的貢献度がそれなりにあると社会に認められているから残っているのだ。確かに癌と呼ばれるような会社や団体もある。しかしこれだってある意味社会に貢献はしている。全くの善の貢献ではないけれど必要悪というものも堕落社会にはある。それにひとつの事業体が最初から公的意識に立って出発したというものは先ずない。最初は自分の為生活の為の出発がある。そのレベルからその事業体で働く従業員の為という意識に変わってくる。さらにレベルが上がると客の為まわりの社会の為という意識、さらに向上するとより大きな公的意識にと事業体として目覚めていく。その段階で儲けという意識は影をひそめ、社会への貢献度を喜びとするようになっていく。自分がレベルを上げることによって事業体もレベルを上げていく。逆に事業体がレベルを上げることによって自分も引き上げられる。位置が人を創るというように会社や事業団体が従業員全体のレベルを引き上げていく。為に生きる、というみ言を文字としてだけ捉えている兄弟は、是非会社でも起こして生活として実感としての為に生きる歩みをなして欲しい。御父様が僕の僕から出発されたように、自分の商いでも始めて客にとことん侍るところから出発すべきだろう。私達の事業体が、世間が見ている御父様のイメージを左右するかも知れない。そうであるならどこのどんな事業体より為に生きている、社会に貢献していると、誰もが認め得る事業体にすべきではないのか。為に生きればこそ社会に貢献すればこそ金はだまってても回ってくるという絶対信仰を私達事業体を預かる兄弟は持つべきだと思う。自分はそう信じたい。

2007年3月22日木曜日

第二の清平(2)

私が清平でそうであったように、相対者もその受け入れがたい苦痛を最初は拒否し続ける。分刻みで与えられる多量の薬への嫌気、無理にでも与えようと強要するナースへの抵抗、抑えられない感情、と言う形で拒否感情を表に出している。そして私がそうであったように、苦痛の限界に至って始めて観念することを学習する。この苦痛を自分は受け入れざるを得ないこととして納得し、心を少しずつ許して受け入れていく。その心情変化を今か今かと待っていたように肉的癒しが始まる。押し込む度にそのつどもどしていた薬を身体が受け入れ始める。血圧が下がり始める。そして睡眠を切れ切れであっても取る事が出来るようになる。神と悪魔の混在した自分のから神なるものをふるいわけ、本来あるべき善なる魂として神が取る事が出来るようにされる。その為には神と悪魔をふるいわけるに必要な、心情感情の混沌状態路程を通過せざるを得ない。頑なな自分が打ち砕かれていく中でこそ神様は手を付けることが出来る。相対者は腎臓を悪くしてから何度かメスを入れている。毎週自分で腹に注射もしている。そして今回は腹を完全に上から下まで割かれている。それも一度ではない。インフェクションの心配があり一週間を置いて再度同じところにメスを入れられる。これほどまでに身体を傷つける運命であることを彼女が生を受けた時には既に決められていたのだろうか。そのために生まれたのだろうか。武士の家系だからさもありなんと言われても理解することは出来ない。生きているだけで感謝、おそらくそうなのだろう。しかしこの状況で晴れ晴れとした気持ちにはなれない。人間は納得する動物だ。意義付けてこそ受け入れることが出来る。自分の身に起こる事や起こる感情に対して、これはどう意味があるのかいつも根源の存在に問い続けている。

第二の清平

メリーランド大学のメディカルセンター、ここは私と相対者に取って場所を変えた清平だ。手術患者の待合広場で五時間以上待ちながら思わされたことはこの気付き。そして改めて周りを眺めると、確かに雰囲気というか空気に懐かしい匂いが感じられる。自分の霊性は開発されてはいないが何となく感じるということは良くあるし、魚とレストランに長く携わってきたせいか匂いにはとにかく敏感だ。危ない臭いがしたり、汚れた臭いがしたり、高貴な匂いや下賎な臭いがしたりする。ここ三次元では同じ時間と場所を共有している他の患者や患者の家族と、そして私と相対者の霊的時空は異なっている。明らかにここは私と相対者に取っての第二の清平だ。私が韓国清平の地で内的気付きと肉的癒しを得た段階を踏まえて、相対者がと言うより家庭として内的気付きと外的癒しの恩恵をここで受けている。この気付きを得た時、愛されていることを実感した。周りを観察すればあるものは家族のために祈り、あるものは慰め、そしてあるものは優しい視線で見渡し、視線が合うとクロスフィンガーで応えている。院内にはチャペルもある。そして数棟ある高層ビルに囲まれた中庭の天井には強化ガラスが張り巡らされていて、ビルを柱にした大聖堂の趣だ。それを上空に見る形で待合広場が中二階にある。間違いなく大母様興信様の送られた聖霊天使がここにはおり祝福先祖が集結している。ここで息子と娘とでチャペルを中心に祈りの巡礼を七回ほど持った。信仰的とはとてもいえないこの二人が、短い言葉ではあるけれど母の経過の良好を祈る声を耳にして、この家庭の再出発の機会を与えてくださった神様に対して、感謝の想いが暖かいものとなって胸に溢れてくる。

2007年3月21日水曜日

情報と情熱

数年前、東北地方を大きな台風が襲い農家に多大な被害を与えた。その時りんご農家の大半が落ちてしまった九割のりんごを見てため息をついた。しかしたった一人の農家のひとが木に残った一割のりんごに着目し、落ちないりんごという名前で受験生をターゲットに一個千円で売ることを思いついた。普通一個百円程度のりんごが十倍の値段で売れ被害を最小限に止める事が出来た。、、、、という話は今置かれている状況をどう認識するかといういい教訓だ。現実は現実として受け止める必要がある。しかしその現実をどう捉えるかという判断はひとりひとりに任されている。忘れてならないのはこの農家は被害の多大さの現実を嘆いてこのアイデアが出たわけではない。アイデアが出る前の段階で一割の残ったりんごへの愛着と感謝の思いがあったはずだ。この残ったいとおしいりんごをどうしようかというところからこの発想は出てくる。あるものに感謝する捉え方とないものを嘆く捉え方は一歩先の運命を変えていく。しかし断っておくことはポジティブにポジティブに生きろと言うことではない。では他の農家は馬鹿を見たということだろうか?そうは思わない。嘆くことや痛みを感じることで他の災害に逢った方々の気持ちがわかったかも知れない。明日の知れない人生の意味を考えようとしたかもしれない。要するに置かれた状況をどう捉えるか、で明日は変わったものとなっていく。要するに自分が明日の自分を舵取りしているということ。先月の日曜日朝から雪が降り出して昼過ぎには結構な積雪となった。従業員が店に行く支度をするころにも雪はまだ降り止まない。結局店を閉めることを決めた。しかしこれは私にとって大きな失敗だった。この決定の背後に経費削減の思いしかなく来てくれる客に対しての思いがなかったことだ。この雪でも来てくれる客の為に自分ひとりでも営業するという思いになぜならなかったのか、反省した。企業にしろ団体にしろその責任者の理念哲学が基礎となり柱となる。雪が降って客が数人しかいない状況を見て、やっぱり閉めるべきだったと嘆くのか雪なのに数人も来てくれたとその客に感謝のおもいを持つのかで明日の営業状態、客の反応が全く違ってくる。経営者としての熱意を維持させるために最も必要なのはあるものに対する感謝の気持ち。一店舗の繁盛店をつくるのに難しいビジネススキルは必要ない。お客様を愛する気持ちとあるものに感謝する気持ちがあれば入ってくるなといっても客は入ってくるようになる。立地の問題とか店の流行の事とか数字の煮詰め方とか確かに研究すべきことはたくさんあるが万端整えても必ず成功するとは言えない。情報は十分条件であり情熱は必要条件だ。

2007年3月15日木曜日

力の源泉

高校三年の二学期、同級の生徒は最後の追い込みをかけていたが、自分はどうやって親を説得しようかそればかり考えていた。安い下宿に一人住まいであったので、すでに何度かは教会に行って教会活動している兄弟達と寝泊りしていたこともあった。二年生の夏休みに三日修に参加し、三年の夏休みには七日修に参加した。そのあたりから子供の様子が変わってきたことは親も感づいてはいた。年に数えるしか会ってはいなかったが、会えばそれとなく教会の話もしたし、卒業したら教会に行くことも告げていた。しかし卒業が間近になってくるとさすがに重い空気が両方を覆ってきた。そしていよいよ荷物をまとめて教会に行くという時、親は下宿先に尋ねてきた。その時の事を思い出すと今でも涙が止まらない。ぼろアパートの四畳半、電気炬燵しかない部屋で父と母と私、三人ですわり、父は今まで尋ね続けたことをまた問う。(どうしてもいかにゃならんのか?)田舎の者は言葉数が少なく、それに対して私はうん、としか答えない。父はその返事が全てと捉えて、それ以上敢えて説得しようとはしない。後は沈黙が流れるだけだ。父はその場のどうすることも出来ない状況に堪えられなかったのだろう。世話になった下宿の大家との話があると言って父は腰を上げて出て行ってしまった。父が出て行くのを視線で見送って、母は田舎から持参してきた風呂敷包みをほどくと田舎で漬けた漬物を私にすすめた。勧められるままに一つ二つと口にする息子の顔を、母はしばらく見ていた。母の唇が震えているのを上目遣いに見て取って、ちゃんと説明すべきだと思った。しかし、直ぐ帰ってくるからと言い伝えるのが精一杯だった。母は何も言わずに湯のみを片付け、戸口の横にあるシンクに立って洗い始めた。と同時に嗚咽が始まった。最初は遠慮がちだったのが、どうにもこらえ切れずシンクに両手をかけてすすり泣く。何度か落ち着こうと洗い物を手にするらしいが、崩れ折れそうな小さい体を支えるのが精一杯のようだった。つらかった。震える母の背中を見続けるこの時が一番つらかった。でも乗り越える最初の峠と言う自覚があった。体を硬直させて堪えた。身動きしたら自分の心の方が崩れ折れそうだった。震える母の小さい背中にごめんごめんと唱え続けた。今の今まで、自分が救われたいと思って歩み続けた訳ではない。高邁な理想に夢を抱いて歩み続けたのでもない。神様の存在が確信できた時、自分は既に救われていた。のちどんな責め苦に会おうと甘受できるとその時は思った。ただただ苦しそうに死んでいった祖父を救いたかった。苦労の耐えない父や母を救いたかった。ただそれだけ。貧しくも病と苦労を背負い続けた、祖父と父と母の小さい魂を救いたかった。だからここまでこれた。この信仰背景の全くない私がだ。どんなに目標をたてようが決意しようが自分事にとどまるのであれば達成は出来ない。数字を与えられると走れる単純な存在ではない。ひとは為に生きる存在だ。為に生きることでしか力は出ない。愛を動機とする為に生きることでしか、私は生を繋げない。

2007年3月14日水曜日

愛と使命

為に生きる生、与える生というのは人間として本来持っている本能とも言っていい美しい性質だと思う。為に生きたい与えたいという想い行動が無意識に全ての想い行動の中に動機として含まれているはずだと思う。これは人間本来の欲求なのだ。為に生きずにはいられない与えずには居れない存在なのだ。そこに気づく時、先ず欠落してしまった自分のその性質を嘆く想いが持てないといけない。そして本来あるべき為に生きる与えると言う性質を取り戻したいと言う想いが持てないといけない。そして為に生きる自分、与える自分のあるべき姿を心に焼き付け、そのイメージにそって思考し行動することだ。少しでも為に生きた自分、与えた自分に対して感謝の念を抱き、自分自身に喜びを与えること。あせってはならないし大きく飛躍しようと思わない。全てにおいて段階がある。些細なことであっても与えた自分に対していとおしくも誇らしくも思ってあげる。犠牲的精神と大上段に構えてもそれほどの魂の器が今はないことは自分に問うてみればすぐわかる。大風呂敷を広げたところでそれはただの偽善だ。自分の魂の大きさ広さを感性ではかり受けたこと与えたことを通して大きくなっていく様を感じる生活をする。行動の一つ一つがそれは与えたいという愛を動機としているのか与えるべきだという使命を動機としているのか、今までの自分はどうだったか、御父様に向かう自分の想いの種類がそれを証明している。使命感で越える事が出来ない自分の限界を見たときそれを知らされる。

2007年3月12日月曜日

金回り

あの人は金回りがいいとかよく言う。金の流れとして捉えるといい。自分が金になったつもりで金がどう流れているのかを意識する。家庭で考えると何処から入ってきて何処に流れてどう出て行くのか、大体毎月の流れは一定している。おそらく無意識的に自分の意思を掛けることなく惰性的に流れている。流れを主管しているようで本当のところ主管していない。掛ける必要の無いところに流していたり投入すべきところに流入させない場合もある。どう使うかを考えるとき仕方なく使う或いは無意識に使う場合流し去っているということになる。水道の蛇口をひねってそのまま下水に流し込むのと同じだ。しかしこの金を何とか生かしたい、という意識が働くときその金は生きた金となる。けちと節約を混同している。表面的な行動は似ているようだがこれは似て非なるものだ。けちは良い流れをせき止める事であり、節約は悪い流れを止める事である。この違いが解ることが金を活かせる。金自体に価値を置く感覚があるがいくら貯めても手元にあるうちは価値はない。どう流すかどう使うかで初めて価値が発生する。使うことによってどういう価値を生ませたいのか、敢えて意識して使うことが大切だ。もう一点は収入に対する意識だ。収入を自分で固定してしまっている。時間は決められている。体も一つしかないから空間も決められている。だから物理的に言うと量はある程度決められている。受けるものを量として意識する場合その前提に仕事を量として捉えている。しかし受けるものを質として捉えると自分がどういう質の仕事をしたかという意識に変わる。そこの違いがわかり認識が変わると入力(入金)も変化する。質のいいところにその質に合わせてエネルギー(お金)は量を掛け合わせた分だけ流入してくる。E=MCの二乗はお金の原理公式でもあると私は断言する。自分の生命を投入し愛を投入した仕事をしていれば人も集まり金も集まるのは自然の道理である。笑うかもしれないがお金にも意識が宿っている。楽しい所に集まろうとし、愛のあるところに集まろうとする。将来自分はどうありたいのかどうしたいのか人生設計がブループリントとして出来上がってくるとそういう方向に金を使おうとするしそれに必要な金の流れを呼び込む。

堕落性本性

日本で言うアベルカインは御父様の意味するところと大きく違う、というのは前から聞いていたが、中心者とその下にある兄弟との関係の意味合いとして捉えられていたと思う。中心は絶対で兄弟は完全なる自己否定を要求されるというものだが、多かれ少なかれ、日本の組織のすべての上下関係でそういう状況はあった。上の位置にあるものとして多分に権威を笠にして、力で下を押さえつける。軍隊的組織では効を為すのかも知れないが、会社組織を含め殆どの組織でこのやり方は通用しなくなってくる。日本や数十年前の社会では有りなのかもしれないが今は反感を買って組織としての体をなさなくなる。店に於いてもシステム上、それぞれのデパートメントで中心的位置を立てるのだが、多くの兄弟はその位置への適応性を欠いている。旧日本的なその頭があるから采配したりオーダーを下したりする場合、自然と高圧的になってしまう。全てが命令調になってしまう。要するに頼み方が直線的で配慮するという感覚に欠けている。それを受け取る者は全く面白くない。そのうち皆が距離を置くようになり、位置は与えても四面楚歌状態だ。言っても誰も聞かないしついてこないから自分はその位置には立てませんと言いながら、自分に問題があるとははなから思わない。配慮ある言葉を使うこともそうだが、先ずその前に配下のひとりひとりと信頼関係を構築する必要がある。アフターファイブに一杯飲ますとまで行かなくても、店の中だけで十分信頼関係を作ることは出来る。何か作業をしていたら側に行って手伝うとか、頼みごとをして聞いてくれたら感謝の言葉を添えるとか、暇なときはパーソナルなことを言ったり聞いてあげたりするのもいいかも知れない。場合によっては上司に対する愚痴だっていい。とにかく自分はお前の味方だと思い込ませる。それは言い方が悪いが要するに愛する、為に生きるということだ。その信頼関係が出来ないうちに何を言おうが聞く耳もたずだ。その辺の人間味のある温かみのある接し方が不器用だ。愛の群れであったのがどこで方向を間違えたのだろうと思う。勿論自分にもその辺の弱みの認識はある。だから従業員の言葉は謙虚に聞くべきだと思う。責任者として従業員と接するとき、驕りの気持ちが隠れてないか言葉に相手を思いやる気持ちが添えられているか、確認しながら事に当たらないと、気を許すと堕落性本性や相手への無知が顔を出す。

2007年3月11日日曜日

不安という化け物

無知への不安ほど恐ろしいものは無かった。無知によって引き起こされることもそうではあるが、無知それ自体が、解らないことが恐怖そのものなのだ。ここで言う無知は本質的な事に関しての無知だ。小学校の高学年から中学生の頃まで、解らないことへの不安が嵩じ発作的にこころが爆発しそうだった。気を病んで狂って、何をしでかすのか私がどうなるのか解らない状態だった。それは死への不安が引き金だった。その当時病弱な祖父が寝たり起きたりの生活を送っていたが、小さいときから手を掛けてくれたこの祖父が心配でたまらなかった。病苦のためうずくまり唸っている気配を奥の部屋から感じるたびに、こころが苦しかった。苦労している姿しか見たことが無い祖父が、追い討ちを掛けるように病苦に堪えている姿を見て、人間としてこれほどまで痛めつけられ責められるのかと、生きるとはこういう事なのかと、やりようの無い想いだった。更に死への恐怖が被さり覆ってくる。自分は祖父のその痛みを自分の痛みとして捉えていた。神も仏も存在するとは到底思えなかったので、神様に問うてみると言う意識ははなから無かった。やり切れぬ想いや疑問が自分の中だけで堂々巡りを始める。生きるとはどういうことなのか、死とはどういうことなのか、解らないものとして割り切りたくてもどうしても納得できない自分がいる。死ぬことによって全ては無となるに違いない。しかし無とは何なのか無の意味がわからず自分は死ぬことはできない。しかし生きることの意味がわからず自分は生きることも出来ない。この無知に対する不安が更なる不安を呼び、恐怖の中に沈められて自分と言う存在が破壊する。すでに精神を深く病んでいたのかもしれない。親がこの状態を知ると心配を掛けると思ったので、そのそぶりも見せないようにした。病的な不安という発作(?)が出てくると外を走った。そこ等中を歩き回った。勉強に没頭した。とにかくその疑問と不安を意識から払いのけようと必死だった。しかしどんなことをしてもその疑問と不安は居座り続ける。唯一それが自分から払いのけることが出来たのは冬の雪の降る日だ。雪の降る日外に出て天を仰ぐと、降り注ぐ雪の中に佇んだ自分が天に吸い込まれていく感覚を味わう。この時だけ自分は解放された。だから冬を待ちわびた。雪の降る日を待ちわびた。そのひと時の安らぎの為に。今でも雪が降るとついつい外に出て天を仰ぐ。その当時の感覚が思い出される。広島の高校に通うようになり友達の紹介で教会の門をくぐるのだが原理は難解でそれほど理解してはいなかった。が自分は神様の存在の確信を得た。そしてこのみ言で自分の全ての疑問と不安が解けるという確信を得た。この出会いが自分にとっての実感的救いだった。今にして思うにその当時、あまりにも不安を増長させて憑依体質になっていたのだと思う。不安の化け物が自分の魂を占領していたのだ。祖父は死期に近付いた頃、気を病んで人を見れば笑い転げるようになった。そして堪えるだけ堪えて、生きることの意味を知らずに死んでいった。しかし今、その祖父は生きぬいたことの尊い意味を知らされた祝福先祖だ。

洗務

レストランの中で最も影の役割ではあるが非常に重要な位置がる。それは皿洗いだ。この洗い場の位置をマネージャーとしてどう捉えるか、そこを担当する従業員にどう接するかで店内での流れが決まる。洗務(皿洗い)は一般的に最も低い位置にある。自分は何の能力も技術も無い、生活の為にとりあえずと言う思いがあってこの職を選ぶ。洗務に限らずレストランで働く者の殆どの動機はそんなものであるが洗務は最たるものだ。だから従業員ひとりひとりが店内での自分の位置付けをする時彼を誰よりも下に置く。そして彼本人も自分が一番下だという意識がある。この位置付け意識を変えようとしてもできないし変える必要はない。あって当然だ。それを認めて接し方を考える必要がある。自分は洗務以下ではない、と言う意識が皆にあるから洗務の姿勢、態度、貢献意識など全てが全体の姿勢、態度、貢献意識の底上げとなる。マネージメントサイドで何も言わずとも洗務の仕事に対する取り組みが従業員のプレッシャーとなる。洗務の仕事内容への目配りも勿論大切ではあるが、そういう意味で彼への接し方が大変重要である。上から下に流れていく意識やエネルギーもあれば下から上に流れていく意識やエネルギーもある。大量の皿と格闘している洗務を見て、洗務に一生懸命接しているマネージャーを見て、あるいは詰まった下水を汚水をかぶりながら直している姿を見てより内的な本質的なエネルギーを得る。ここには底辺にも愛のエネルギーがあることを従業員は感じる。皿洗いはそれ自体単純作業だ。普通の人間なら直ぐ飽きる。飽きると雑になる。雑になると気分も雑になる。続かない。他の業務に比べてターンオーバーも激しい。だからマネージャーは少々の雑なところも目をつぶる。しかしそこが店にとってネックとなりうる。水漏れがあれば金が漏れていることを暗示しているように水を最も使う洗い場の担当が雑だと金も漏れ運勢も漏れる。成長するに仕事が複雑である必要はない。単純作業であればこそ内的により成長する、こともある。没頭することで瞑想に近い感覚を味わえる。最近トイレ掃除で心を磨くと言う本が人気を呼んでいるが、一つ一つの皿を綺麗にしていくことで自分の心も磨くことが出来る。洗務を真面目に続けている人間に悪い人はいない。マネージャーの仕事は仔細多岐にわたる。これで良しという線が引かれることは無い。ストレスを抱え込んで病む。しかし任せることが出来る内外の体制を造って任せることに拠ってマネージャーの余裕を造ることが必要だ。そうして店を表面的に捉えるだけでなく、より掘り進んで表面の下に流れるものを観察できるよう内的感性を磨く。洗務のその位置を意識することで店の中の流れが変わるかも知れない。ちょっとした事が元で店が傾くが、ちょっとした意識が売り上げを根底から変える起爆剤となる。

2007年3月8日木曜日

チップに対する考察

アメリカはチップの慣習がある。レストランもこのチップ故に成り立っている。しかしこれがたいそうなくせものだ。入国した当時はこれに馴染めず支払いのときいくらおいて置けばいいのか悩んだ。その当時は15%くらいが相場だと言われそれならその額分最初から請求すればいいものを何故、と言う思いがあった。店をマネージする立場にある今でもこのチップは頭を悩ませる。レストランでは給仕に対する評価という位置付けにあるが、余程の事がない限りは請求額に応じて換算され評価としての意味はあまりない。サーバーもその頭があるから支払いに対する%で一喜一憂しその客が良いか悪いかの判断をする。自分のサービスに対する評価とは思わない為内省することは先ずない。店側からすればチップ額に関係なく、客は売り上げに貢献する客である。この客はチップが低いと言ってサービスを疎かにされれば店としては困る。大盤振る舞いの客だけで営業できるはずはない。少々チップは低かろうが週に何度も足を運んでくれる客の方が店としては有難いし、チップの絶対量も実はこの客のほうが多かったりする。そこに目をやらず勝手に判断して対応を疎かにするから、結局入ろうとするものを拒む体制になってしまう。チップ制で店とサーバーの関係性も微妙なものとなる。チップのほうに意識はいくから店から収入を得ているというより客の頭数から収入を得ていると言う感覚が強い。俄然、店に対する忠誠心は薄くなる。店の為にという意識の欠如が店にとっては大きな痛手となる。寺や宮の参道軒下を拝借するテキヤ稼業と同じで参拝客を増やそうという殊勝な心がけの者はまずいない。客の入りを見て取ってたかるだけの存在である。レストランとして看板を掲げている以上サービスに重点を置かざるを得ないがそのサービス分野をこの連中が握っている。本当のところ、チップは全部店の収入として預かり他の従業員と同じく給与制にしたいのだが、他の大多数のレストランがチップ制にしている以上マネージメント側で孤軍奮闘しようがサーバーはついてこない。よほどいいサーバーを抱えているかサーバーがマネージャーなりオーナー本人であると言う店以外はこの課題はレストラン業にとって本質的課題だ。サーバーが然りなら客も然りで、チップを渡すとき恵んでやるという上から目線の意識が見え隠れする。サーバーや店に対して私と言う客にかしずけと言うあからさまな態度はチップ制ゆえの功罪だと私は思う。

2007年3月7日水曜日

罪の認識

ある代理店にいた頃の話だ。自分は営業の方はお手上げ状態だったので車の運転が仕事の殆どで、展示会ともなるとお客の送り迎えで一日中走りっぱなしだった。展示会は何度も行われたが忘れるに忘れられないと言うか、非常に心痛い展示会の事件がひとつある。その時の会場は急な石階段が二百を超える小高い丘の上にあった。他のいろんな会場もあたって見たようだが、結局不便なそこを取るしかなかったようだ。そこは稲荷神社の会館で、こんもりとした木立に囲まれていて市内とは思えないほどの静けさだった。その空間だけがこの世から隔絶されたような雰囲気で、その時の何とも不思議な感覚を覚えている。御社自体もそうだが会館も目が覚めるような朱塗りで、それに触発されたのか今までの展示会とは違うテンションを皆持っていた。悪く言うと浮き足立った感じである。社と会館でくの字に囲むその中央に、立派な庭園と池が配されている。その時の展示会はどういう訳か客の集まりがとにかく悪かった。昼過ぎても片手で数えるくらいだったと思う。事件が起きたのは私がその中の一人の客を隣町まで送っていく間の出来事で、その送った帰り、車を降りて石段をあがろうとした時上の方から一人の姉妹が形相を変えて転げるように降りて来た。それに続いて一人の兄弟が腕に子供を抱え、靴音をばたばた立てながら口を大きく開けて降りて来た。抱えていた子供の右腕が無造作に踊っていた。とてもどうしたのか聴けるような雰囲気ではなく、私に目もくれず車にその子を押し込むと、エンジンをふかして走り去った。自分は上まで急いで駆け上り、受付の広間に入って見ると皆は狐につままれたように黙って立ちすくんでいる。目立たないように隅の方に立っている兄弟のところにいき、初めてことのいきさつを聞いた。目をはなしたすきに一緒に連れて来ていた子が池で溺れたというのだ。その時はまだ、子の親は何も知らされず会場の中で商品のはなしを聴いていた。会場を離れる前の浮き足立っていた全体の雰囲気が一変して、奈落に落とされたような状況になっていた。親であるその客に、その旨を伝えなければならない。当時の責任者の心の重みは察して余りあるものがあった。その客を連れてきた姉妹がゆっくり見ることが出来るようにという配慮で、その子を預かることになったらしい。しかし次の客の手配やら事務処理やらで預かったことを完全に忘れてしまったのかどうなったのか、しかしもはやそれを尋ねる意味は無かった。誰かがそういえばあの子は、と口にした時にはその子が誰の視野からも暫く消えていたらしい。皆が大騒ぎになりながら建物のなかを探すがどこにも見当たらない。まさかという気持ちが皆にあったがそのまさかが現実のものとなる。池の端っこのほうに小さな身体を目にすることになる。病院に連れて行った時には殆ど困難な状態だったらしい。心拍だけは何とか取り留めたが意識は最後の最後まで戻らなかった。その事故から40日目にその子は短すぎる生を終える。その間、ある姉妹が親と子に付きっ切りで世話をしていた。その献身ぶり故に親としては気を静めざるを得なかったのだろうが、本当に悔やんでも悔やみ切れなかったはずだ。自分も若いうちは思い出すこともなかったが、子を持ってからは事在る事にそのことを思い出す。その痛みややり切れぬ想いはいかばかりだったか。その子の名を呼び続け、手にしていた玩具を涙なしには見れなかっただろうし、自分の命と引き換えに出来なかったのかと自分をも恨み、親故の無き子への想いを背負い、残された者の遠い道のりの一日一日はどれだけ長く感じただろうか。堪えられぬ感情を生涯抱き続けて癒されることはないのかも知れない。そこに少しでも想いをやるなら、子を持った立場で申し訳なくて申し訳なくて仕方がない。我々だけが苦労しているという意識は全く間違っている。それがみ旨に関して間接的では在ったとしても、我々以上にサタンと神との攻防戦の荒波に飲まれながら辛苦を味わわざるを得ない者たちの少なからずいることを忘れてはならない。我々の足りなさゆえに多くの犠牲を強いられている。そういう者たちこそ本来救いと祝福にあずかるべきなのだ。彼らを置いてさも当然で在るかのように祝宴の場に顔を出す我々は、神様の心情の一片も知らない恥知らずな連中に過ぎない。何とか機会を作って許しを乞う為にお会いしたいと思っている。このままにしておくのは本当の罪であり心情蹂躪ではないかと思う。

2007年3月4日日曜日

朝礼

朝礼は出来るだけ欠かさないようにしている。毎朝連絡事項もないし話すこともないと言うが最初は何もなくていい。集まって顔を見合わせるだけでも違う。従業員一人一人がここに存在すると言う確認が必要なのだ。以外と従業員は自分と自分のやるべきことだけに意識がいって他の従業員は景色ぐらいにしか意識していない。マネージャーを中心に皆が助け合い一つになってこの店が成り立っている、という全体意識が出来上がるためにも朝礼は欠かすことが出来ない。先ず習慣付けることが必要である。そのうち従業員は朝礼がある日とない日を比べて空気の違いを認識する。心地よい全体の緊張感を覚え従業員から率先して集まるようになる。マネージャーを中心に朝礼がなされることによって従業員皆が自然と聴く体制になる。今日も情けない英語で訓示を垂れた。多分に内的内容である。殆どの従業員は言っている意味がわからないと思う。今の時点で理解できようが出来まいがどちらでもいい。自分の立場で言うべきことを伝えたかどうかがより重要である。こういう感覚はTFが理解できない兄弟を前にして宣布されたり重要なみ言葉を語られるのと同じで広大無限な霊的背後に宣言する、といえば余りにも大げさで度が過ぎるがそんな感覚ではある。とにかくメッセージとして伝えること。相手が受け取るかどうかは次の問題だ。英語が全くわからないスパニッシュの従業員が意外と頷いたり神妙な顔をしている。何かは届いているのだ。

2007年3月3日土曜日

POS

今は殆どの店にPOSシステムは備えられている。私が担当している店も6年前に導入した。実は入れるかどうか相当悩んだ。その当時2万ドルを超える支出だ。とにかく入れてみようかというお試しの上限を超えている。どんなに説明を受けても費用対効果に照らし合わせられるだけの納得がいかない。入力する為には先ずオーダーを受ける時点で走り書きをする必要がある。それから端末に足を運んでそれを打ち込みキッチンに送る。チェックはプリントアウトして渡すだけだ。スピーディーで簡単なのを強調されるが慣れたサーバーだとオーダーを受けた時点でチェックは作り計算まで済ましている。キッチンとダイニングは客が声をかけるほど目と鼻の先だ。三枚刷りのコピーの一枚を渡せばそれでオーダーは入る。確かにスピードは速くなるどころか慣れないせいもあってもたついた。しかしPOSの利点の多さに気付くのにそう時間はかからなかった。手書きで請求書を書くのより信頼性がある。見やすいので客の確認時間が短い。計算間違いはない。落とし忘れが減る。それらが利点として挙げられるが一番店に貢献できたことはプライスの変更が簡単であることだ。手書きだとプライスが変わる事にサーバーが常に意識していないと忘れるし慣れていた計算もややこしくなる。これが大きなマイナス要因となりプライスアップを躊躇させる。POSだとこの心配がないのでプライス変更の機会も増えたしメニューの付けたし削減も簡単だ。何といっても利幅への貢献が一番の利点である。最近、チップのシェアを表計算を使ってやっている。集めたチップを頭割りにしていたのだが、どんなに頑張ってもまたどんなに適当なサーブをしても貰うものは同じとなると共産主義だ。やる気など起こらないし、いいサーバーはすぐ出て行く。しかしテーブル制にするほど大きい店ではないし、もし自分のテーブル担当以外の客が声をかけた場合なおざりになる危険のほうが大きい。そこでこの表計算を使うことにした。チップ合計の半分は完全に頭割りにするのだが後の半分はそれぞれのサーバーのセールスに対する歩合、チップ合計に対する歩合、パーフォーマンス(チップ/セールスの%)に対する歩合をトータルに評価して差をつける。これはキャッシュチップを誤魔化さない効果もあり私としては上出来だと思った。この計算を電卓でやるとなると毎晩午前様になるが表計算だとクリックひとつで事足りる。簡単なプログラムでできサービス向上に一躍買っている。導入時はサーバーも乗り気ではなかったが頑張れば数字にでてくるので喜んでいる。

2007年3月2日金曜日

天地自由人

貧乏暇なしと言う言葉がある。毎日毎日生活の為朝から晩まで働いているので時間もなければ金もない、と言った意味合いだろうか。ああ本当にそうだ、と感じる人は限りある貴重な人生の日々をどぶに捨てている。その事に先ず気付く必要がある。生活することそれ自体が目的ではない。勿論食べる為に生きているのでもない。そのあたりの感覚はあるし自分は違うと否定すると思うが現実そう成下がっている。毎日のスケジュールをこなすことで満足している。これではいけないと最初は思う。しかし周りからそれに対して非難を受けることはない。家族だって何も言わないだろう。そうなると自分を許してしまう。そのうちこれでいいんだ、と自分を納得させる。成長することへの願望や自分を見つめる感性が失われていく。スケジュールをこなすだけの機械人間はそのうち機械に取って代わられ、ゴミになる。貧乏だから暇がないのではない、暇がないから貧乏なのだ。暇というと語弊があるが余裕といえばいい。働く以上は時間に拘束されるというのに余裕など持てるか、そうではない。その発想自体が完璧に拘束された人の発想なのだ。どんな事情圏環境圏であれそこで学ぶことは山ほどある。為に生きることもできる。接するもの全てを愛することもできる。如何なる行動も思考も価値創造の手段となる。今自分が立っている外的位置、内的位置を起点として左右上下前後全方向に無限大の可能性が隠されている。その認識を得ないと事情と環境は自分の檻としかならない。自由の意味、余裕のある無しの意味はその認識を得て初めて理解できる。条件を立てる、しかし条件を立てること自体が目的ではない。祈る、信仰的といわれる言葉の羅列が祈ることの意味ではない。教会に行けと言われる、しかし教会に行っていればいいと言うものでもない。献金する、要求され皆もやっているから献金する、そこに神様の為にという想いが込められずに何の意味があるのか。我々の全ての行い全ての思考に自由も余裕もない。事情と環境に振り回されているだけのことだ。真の父母に近い立場の我々が本当は最も遠い存在である可能性もないとはいえない。信仰観念が固定されてしまって見る目聴く耳を持たない。目と耳がない不自由な人間なのだ。時間的余裕が本当に必要であると思うなら時間に拘束されない仕事を選べばいい。何の職につこうが生活を支えることを一義的にしてしまうとそれ以上の意味は見出せない。最初はそうであったとしてもその社会的行動が魂との関わりとして次元を高めていけるように、高める為には自分を深める必要がある。仕事を通して祝福家庭の本分を発揮する、ぐらいの気概は持つべきだ。そういう意識と意思を持つことによって初めて自由人となる。