2007年3月14日水曜日

愛と使命

為に生きる生、与える生というのは人間として本来持っている本能とも言っていい美しい性質だと思う。為に生きたい与えたいという想い行動が無意識に全ての想い行動の中に動機として含まれているはずだと思う。これは人間本来の欲求なのだ。為に生きずにはいられない与えずには居れない存在なのだ。そこに気づく時、先ず欠落してしまった自分のその性質を嘆く想いが持てないといけない。そして本来あるべき為に生きる与えると言う性質を取り戻したいと言う想いが持てないといけない。そして為に生きる自分、与える自分のあるべき姿を心に焼き付け、そのイメージにそって思考し行動することだ。少しでも為に生きた自分、与えた自分に対して感謝の念を抱き、自分自身に喜びを与えること。あせってはならないし大きく飛躍しようと思わない。全てにおいて段階がある。些細なことであっても与えた自分に対していとおしくも誇らしくも思ってあげる。犠牲的精神と大上段に構えてもそれほどの魂の器が今はないことは自分に問うてみればすぐわかる。大風呂敷を広げたところでそれはただの偽善だ。自分の魂の大きさ広さを感性ではかり受けたこと与えたことを通して大きくなっていく様を感じる生活をする。行動の一つ一つがそれは与えたいという愛を動機としているのか与えるべきだという使命を動機としているのか、今までの自分はどうだったか、御父様に向かう自分の想いの種類がそれを証明している。使命感で越える事が出来ない自分の限界を見たときそれを知らされる。

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