2007年3月12日月曜日

金回り

あの人は金回りがいいとかよく言う。金の流れとして捉えるといい。自分が金になったつもりで金がどう流れているのかを意識する。家庭で考えると何処から入ってきて何処に流れてどう出て行くのか、大体毎月の流れは一定している。おそらく無意識的に自分の意思を掛けることなく惰性的に流れている。流れを主管しているようで本当のところ主管していない。掛ける必要の無いところに流していたり投入すべきところに流入させない場合もある。どう使うかを考えるとき仕方なく使う或いは無意識に使う場合流し去っているということになる。水道の蛇口をひねってそのまま下水に流し込むのと同じだ。しかしこの金を何とか生かしたい、という意識が働くときその金は生きた金となる。けちと節約を混同している。表面的な行動は似ているようだがこれは似て非なるものだ。けちは良い流れをせき止める事であり、節約は悪い流れを止める事である。この違いが解ることが金を活かせる。金自体に価値を置く感覚があるがいくら貯めても手元にあるうちは価値はない。どう流すかどう使うかで初めて価値が発生する。使うことによってどういう価値を生ませたいのか、敢えて意識して使うことが大切だ。もう一点は収入に対する意識だ。収入を自分で固定してしまっている。時間は決められている。体も一つしかないから空間も決められている。だから物理的に言うと量はある程度決められている。受けるものを量として意識する場合その前提に仕事を量として捉えている。しかし受けるものを質として捉えると自分がどういう質の仕事をしたかという意識に変わる。そこの違いがわかり認識が変わると入力(入金)も変化する。質のいいところにその質に合わせてエネルギー(お金)は量を掛け合わせた分だけ流入してくる。E=MCの二乗はお金の原理公式でもあると私は断言する。自分の生命を投入し愛を投入した仕事をしていれば人も集まり金も集まるのは自然の道理である。笑うかもしれないがお金にも意識が宿っている。楽しい所に集まろうとし、愛のあるところに集まろうとする。将来自分はどうありたいのかどうしたいのか人生設計がブループリントとして出来上がってくるとそういう方向に金を使おうとするしそれに必要な金の流れを呼び込む。

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