2007年3月11日日曜日
不安という化け物
無知への不安ほど恐ろしいものは無かった。無知によって引き起こされることもそうではあるが、無知それ自体が、解らないことが恐怖そのものなのだ。ここで言う無知は本質的な事に関しての無知だ。小学校の高学年から中学生の頃まで、解らないことへの不安が嵩じ発作的にこころが爆発しそうだった。気を病んで狂って、何をしでかすのか私がどうなるのか解らない状態だった。それは死への不安が引き金だった。その当時病弱な祖父が寝たり起きたりの生活を送っていたが、小さいときから手を掛けてくれたこの祖父が心配でたまらなかった。病苦のためうずくまり唸っている気配を奥の部屋から感じるたびに、こころが苦しかった。苦労している姿しか見たことが無い祖父が、追い討ちを掛けるように病苦に堪えている姿を見て、人間としてこれほどまで痛めつけられ責められるのかと、生きるとはこういう事なのかと、やりようの無い想いだった。更に死への恐怖が被さり覆ってくる。自分は祖父のその痛みを自分の痛みとして捉えていた。神も仏も存在するとは到底思えなかったので、神様に問うてみると言う意識ははなから無かった。やり切れぬ想いや疑問が自分の中だけで堂々巡りを始める。生きるとはどういうことなのか、死とはどういうことなのか、解らないものとして割り切りたくてもどうしても納得できない自分がいる。死ぬことによって全ては無となるに違いない。しかし無とは何なのか無の意味がわからず自分は死ぬことはできない。しかし生きることの意味がわからず自分は生きることも出来ない。この無知に対する不安が更なる不安を呼び、恐怖の中に沈められて自分と言う存在が破壊する。すでに精神を深く病んでいたのかもしれない。親がこの状態を知ると心配を掛けると思ったので、そのそぶりも見せないようにした。病的な不安という発作(?)が出てくると外を走った。そこ等中を歩き回った。勉強に没頭した。とにかくその疑問と不安を意識から払いのけようと必死だった。しかしどんなことをしてもその疑問と不安は居座り続ける。唯一それが自分から払いのけることが出来たのは冬の雪の降る日だ。雪の降る日外に出て天を仰ぐと、降り注ぐ雪の中に佇んだ自分が天に吸い込まれていく感覚を味わう。この時だけ自分は解放された。だから冬を待ちわびた。雪の降る日を待ちわびた。そのひと時の安らぎの為に。今でも雪が降るとついつい外に出て天を仰ぐ。その当時の感覚が思い出される。広島の高校に通うようになり友達の紹介で教会の門をくぐるのだが原理は難解でそれほど理解してはいなかった。が自分は神様の存在の確信を得た。そしてこのみ言で自分の全ての疑問と不安が解けるという確信を得た。この出会いが自分にとっての実感的救いだった。今にして思うにその当時、あまりにも不安を増長させて憑依体質になっていたのだと思う。不安の化け物が自分の魂を占領していたのだ。祖父は死期に近付いた頃、気を病んで人を見れば笑い転げるようになった。そして堪えるだけ堪えて、生きることの意味を知らずに死んでいった。しかし今、その祖父は生きぬいたことの尊い意味を知らされた祝福先祖だ。
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