2007年3月25日日曜日
個性真理体
店の従業員一人一人を見ると多種多様だ。皆それぞれにいろんな個性を持っている。いろんな個性があるから私との反目、或いは他の従業員との反目が出てくる。と同時にその個性故に他の人とは違う力量を発揮しもする。個性それ自体をいいとか悪いとか決めることは責任者であってもしてはいけないしできない。最初は私も個性と堕落性を混同していて使えないものは使えないと決め付け、剃刀のような判断をした時もあった。その為恨みの多くを買った。もちろん今でもひとりの人間を見極めるほど成長している訳でもないし、当の本人にして自分の個性も堕落性も認識していないことの方が殆どだ。こういう実験結果がある。蟻百匹集めて行動を取らせると、働き者の蟻でありながら二割ほどの蟻がどうもサボる。そこでその二割の蟻を取り除いて完全な働き者集団にするのだが、しかしそのうちの二割がまたサボり始める。そこでまたその二割を取り除いて見るが同じことが起こる、というおもしろい現象だ。これをどう解釈するかというと働き者の蟻でさえ怠けるものが何%かは出てくる、と言うことではない。これは働き者の蟻であるからこそ余裕のある蟻の存在が必要である、と言うことなのだ。要するに全体として働きのレベルを維持する為に何%かの余裕が必要であり、それ故に他の蟻が安心して一生懸命働くことが出来る。100%皆が全力疾走していると自分がばてても自分に変わるものがいない。しかし余裕を持っている蟻の存在を認識すると自分がばててもあの蟻が頑張ってくれるから杞憂なく頑張れる、と言うことなのである。私はこの話を聞いて大きな気付きを得た、と言うか反省した。それまでのギスギスで杓子定規な判断をキッパリやめた。普通、責任者は従業員を判断するに態度、スキル、仕事量、協調性等を判断材料とする。しかし多くの客を得ようと思えば客を引き付けるだけの魅力を店も従業員も持つ必要がある。客がこの店に行きたいという衝動を感じるのに、上記の判断材料は直接的意味を持たない。よくわからないけどこの店に足が向く、と言う状態がその店のパワーだ。心に何か感じた客はうちの店から遠ざかることはない。目の前にいる客に喜んで欲しい、幸せになって欲しい、という思いは言葉に表情に態度に必ず現れる。従業員が向かおうとする所がその意識であることが何よりも大切だ。他の会社はどうか分からないが店のマネージャーとして最も大切なことは従業員にその気付きを与えることである。と同時にその従業員の個性に対する気付きを本人に与えることだ。その個性が店にとってどう貢献できるのかを認識するということだ。責任者として従業員を愛する、為に生きる気持ちがなければ気付きを与えることは出来ない。従業員に対してマネージャーの意に完全に沿うことを期待すると従業員はバーンアウトしてしまう。二割前後の余裕を与える意識を持つと従業員は成長できる余裕を持てる。自己を見つめるそして自分の個性が何でありどういう貢献ができるかを浮き上がらせる為にその余裕が必要だ。本当に力のある店は上に対して言いなりになる従業員を育てた店ではなく、個性を見出しそれが店にとってどう大切なものなのかの認識がある従業員を育てた店だ。
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