2007年3月22日木曜日
第二の清平(2)
私が清平でそうであったように、相対者もその受け入れがたい苦痛を最初は拒否し続ける。分刻みで与えられる多量の薬への嫌気、無理にでも与えようと強要するナースへの抵抗、抑えられない感情、と言う形で拒否感情を表に出している。そして私がそうであったように、苦痛の限界に至って始めて観念することを学習する。この苦痛を自分は受け入れざるを得ないこととして納得し、心を少しずつ許して受け入れていく。その心情変化を今か今かと待っていたように肉的癒しが始まる。押し込む度にそのつどもどしていた薬を身体が受け入れ始める。血圧が下がり始める。そして睡眠を切れ切れであっても取る事が出来るようになる。神と悪魔の混在した自分の魂から神なるものをふるいわけ、本来あるべき善なる魂として神が取る事が出来るようにされる。その為には神と悪魔をふるいわけるに必要な、心情感情の混沌状態路程を通過せざるを得ない。頑なな自分が打ち砕かれていく中でこそ神様は手を付けることが出来る。相対者は腎臓を悪くしてから何度かメスを入れている。毎週自分で腹に注射もしている。そして今回は腹を完全に上から下まで割かれている。それも一度ではない。インフェクションの心配があり一週間を置いて再度同じところにメスを入れられる。これほどまでに身体を傷つける運命であることを彼女が生を受けた時には既に決められていたのだろうか。そのために生まれたのだろうか。武士の家系だからさもありなんと言われても理解することは出来ない。生きているだけで感謝、おそらくそうなのだろう。しかしこの状況で晴れ晴れとした気持ちにはなれない。人間は納得する動物だ。意義付けてこそ受け入れることが出来る。自分の身に起こる事や起こる感情に対して、これはどう意味があるのかいつも根源の存在に問い続けている。
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